No.721 歌謡曲ウィルス

懐かしのTBS「ザ・ベストテン」TBSチャンネル2で再放送が始まったらしい

 映画監督の三上智恵さんが神戸新聞にコラムを連載し始めたが、その第一回目がなかなか面白い。要約すると、彼女の頭の中にはいろんな歌謡曲がエンドレスで流れるらしい。これを彼女は「歌謡曲ウィルス」と名付け、まるでヘルペスのように弱ったり暇になったりすると「ムクムクと表出し、どの曲かまわず頭の中にガンガン鳴らす」のだという。
 ガンガンというほどではないが、私もいろんな歌(曲)が頭の中でエンドレスに流れることがある。その日の気分も多少はあるかも知れないが、中には「何故今この曲?、何故今日この曲?」と思うこともしばしば。
 このコラムで面白いのは「このウィルス保持者は、もしかすると昭和のテレビ世代限定かも知れない」という洞察だ。どういうことか。昭和のテレビではいわゆる歌謡番組が多かった。例えばTBSで1978年1月にスタートし、およそ12年間にわたって放送されたザ・ベストテンはその代表かも。毎週ランキングで示され、歌手がスタジオやコンサートライブの会場からその曲を歌った。ジャンルは広く、自分の趣味ではない曲や取り立てて好きではない歌手の歌でも流れるわけで、いつの間にかお門違いの歌のメロディも歌詞もすっかりすり込まれたものだ。そういうバラエティ溢れる様々な曲が、何かの刺激によって頭の中でスパークするわけだ。良くわかる。「今の若者は好きな曲だけ選んで聴くから、われわれのように、たとえ好みは違えど「襟裳岬」は全員歌えるという共通体験がないだろう。」と。
 マツコ・デラックスが同じようなことを言っていた。黒柳徹子さんはベストテンでステキで奇抜な衣装を毎回着ていたが、それが出演者の責任だと語っていたと。「テレビが元気だったステキな時代を生きてきたのよ」って。
 マスメディアの存在意義が厳しく問われている。「お茶の間」が消滅した今、テレビももはや古いメディアなのか。淋しくもあり淋しくもあり。

No.720 「させていただいている」という逃げ

 「川崎教会の牧師をさせていただいている滝澤です。」。唐突だが、このようにわたしが自己紹介したら、皆さんはどう思われるだろうか。問題は「させていただいている」という表現だ。
 日本基督教団で牧師になるために受けなければならない「教師検定試験」には文字通り神学に関するテストもあるが、根底で問われているのは知識ではなく「召命感」のようだ。牧師として立つということは神から召されているという信仰無くしてあり得ない(?)から。だから「牧師」とは「神が立てた」のだという意味で「(神に)させていただいている」という思いが含まれるのかも知れない。だがわたしは絶対に「させていただいている」とは言わないだろう。わたしなら「川崎教会牧師の滝澤です」と言うに違いない。
 この「させていただいている」という表現を、近年頓に目にし耳にする。この表現のキモは相手の許可があるかどうか、許可が必要かどうか。まぁギリギリ牧師は勝手には出来ないわけで、神の許可(?)あってのものだが、でも結局自分がやりたかったのだろう。あるいはそれしか出来なかったのだ。その現状の責任を「神」のせいには出来ないはず。信徒や教会に迷惑をかけ続ける牧師がいたとして、「それは任命した神が悪い」なんて論理にはならない。悪いのは神ではなくそいつだ。職務は委ねられたものだ。だがその職務を遂行するのはあくまでわたしだ。だから責められるとしたらわたしが負わなければなるまい。その覚悟があるなら「させていただいている」なんて言う逃げは卑怯だ。
 二度目の緊急事態宣言の会見で1分に1回「思います」を連発する首相もどうかと思うよ。「改めてコロナ対策の強化を図っていきたいと思います。」ってナニ? 最悪。リーダーならせめてこう言おうよ。「改めてコロナ対策の強化を図っていきます。」ってさぁ。やるのは君だろう??

No.719 年末年始の風景

 我が家の子どもたちが皆帰ってきて、年末年始は6人+2匹の賑やかな時間を迎えた。川崎で過ごす最後の年末年始でもあり、子どもたちも自分の生活に区切りをつけ、残した荷物などを処分する必要もあった。
 コロナ禍で迎える初めての年越し。街中到る所でこれまでとは違った過ごし方をしなければならない。なんだか不思議な感覚だ。
 お向かいの浄土宗教安寺。檀家さんやご近所さんが集まって除夜の鐘をつくのが恒例。だが今年はコロナのために一般の鐘つきは無くなった。代わりにご住職が「数回」鳴らすという。聞こえたのは3回だった。みんなの煩悩がずいぶん少なくなったようだ。ラ・チッタでは新年と共に何か鳴り物があったが、今年はそれもない。新春福袋が人気の珈琲チェーンなども、今年はネット応募の抽選になったし、長い行列が毎年の風物詩だったヨドバシカメラの新春初売りも店頭販売は中止になった。我が家の犬たちの元日初散歩で見るチッタの通りも、日常とそれほど変わらなかった。普段ならたくさんの福袋を抱えている人たちが多く見受けられたが、そうでもなかったのはひょっとして元日休業が少し増えたからかも知れない。
 川崎・鶴見地区も、地区委員が何度も協議を重ねた上で元日恒例の「地区新年礼拝」を今年は取り止めた。例年80〜100人程度が集まった礼拝だ。
 14年間一度も出かけたことはないが三が日で川崎と言えば毎年全国第二位の参拝者を記録する川崎大師。ホームページを見る限りマスク・消毒以外特別な記述はなく、例年通り参拝者を迎える模様。一瞥して例年と変わらない越年の様子が元日のテレビで流れていた。ひょっとしたら違わなかったのはここだけだったのかも知れない。
 そんなこんなで大晦日の深夜、我が家では「なんだか年越しという感じがしないねぇ」との声。そういうことなんだな、と改めて。

No.718 チキン受難曲

 クリスマス礼拝もクリスマスイヴ礼拝も特別なことを一切やらずに礼拝のみに集中したおかげ(?)で、普段とは違って時間と精神に少しだけ余裕の出来た今年のクリスマスだった。その余裕の時間を使って、巷のクリスマスを少しだけのぞき見してみることが出来たのだった。
 驚いたのは、食料品を扱うお店──レストラン(テイクアウトを含む)やスーパーマーケット、コンビニストア──のほとんどで、「チキン」のメニューが山盛りになっていたこと。
 ちょっと前までは、クリスマスと言えばケーキのお店が臨時で出店されていたことしか印象がない。だが今年、それ以上に驚いたのが大量のチキンだった。フライドチキンやローストチキンは言うに及ばず、唐揚げや焼き鳥に至るまで、あらゆる「チキン料理」がいつもの倍〜3倍ほど積み上げられている。コンビニのレジ横にもたくさんのチキンが並ぶ。チキンを喰わなかったらクリスマスじゃないかのごとき。
 1970年、大阪にケンタッキーフライドチキンの実験店がオープンする。10年ほど後には「クリスマスにフライドチキン」が定着し始めたと言われている。そのイメージは確かにあった。あの店にとってはクリスマスでチキンは当然欠かせないのだろうな、ぐらいの認識だった。だが、40年かけて「クリスマスにはチキン」がここまで過熱してきたということに驚いて認識を新たにしたのだった。
 シュトーレンというケーキは産着のイメージだと聞いたことがある。それを少しずつスライスして味の変化を楽しむらしい。「赤ん坊を喰うのかぁ」などと興の冷めるようなことを言うモンじゃない。そもそも十字架の死後墓に収められる姿の先取りでもあるのだ。してみれば、クリスマスに受難する数多の鶏たちもまた、わたしの食材モトイ贖罪なのかも知れぬ。アーメン。

なんだか幸せな気になる…ありがとう鶏!!

No.717 排気ガスか核廃棄物か

 政府は2030年代半ばをめどに国内でのガソリン車の新車販売をなくす目標を掲げた。50年に温室効果ガス排出量の実質ゼロをぶち上げたことから、それを達成するためには電気自動車の普及を進めなければならないということらしい。東京都は30年までに、二輪車は35年までにと、国より更に5年ほど前倒しする目標を掲げたようだ。英国/中国/米カリフォルニアが同じように30〜35年ころまでという目標を設定していることも影響ありかな?
 ガソリンやディーゼル車は排出ガスがあるが、電気自動車には排出ガスはないということなのだろうか。確かに、走行中はね。だけど、電気自動車を走らせるその「電気」はどうやってつくられるのだろう。
 「第5次エネルギー基本計画」によれば2030年目標は、液化天然ガス火力が約27%、石炭火力が約26%、再生可能エネルギーが22%から24%、原子力が20%から22%、石油火力が約3%。ざっと「火力」が56%というわけだ。
 つまり、走行中温暖化ガスを排出しない車を走らせるために、温暖化ガスを排出する発電で電気をつくるという、ヘンな話しになっちゃうんだけど。そもそも電気自動車をつくる段階でも排出ガスが大量に発生するのだし。
 トヨタ自動車の社長が「国のエネルギー政策の大変革なしに達成は難しい」「このままでは日本で車をつくれなくなる」と発言し、政府発表当初とは反応を変えてきたのが気になる。彼の言う「エネルギー政策の大変革」とは何を指すのか。コロナへの対応ぶりから類推して今の政府の考えそうな「大変革」は、「発電中にCO2を出さない」原子力発電の割合を高めるしかなさそう。
 「走行中はCO2を出さない」車のために「発電中にCO2を出さない」原子力発電を増やして、最終的には地球のお荷物となる超大量の「核廃棄物」を生み出す構造のどこが先進的取り組みなのだろう。
 ここでもわたしたちの行動変容が求められている気がするなぁ。

ZEROエミッションカー 燃料電池で走るトヨタMIRAI

No.716 「予定なし」と記すこと

 教会の一本表通りは「ラ・チッタ・デッラ」という映画館を中心とした商業施設であることは何度か書いた。そして今年クリスマスの装飾がおとなしめであることも。
 そう思う大きな要因はチッタの中心にそびえるガラスのタワー。いつもならこのタワー全体が季節感あふれる電飾で演出されるのだけれど、今年クリスマスに特別な電飾は施されていない。通りの木々や建物を横断する電飾はあるものの、それ以外にクリスマスを感じさせるものはない。唯一、地下1階にあるパチンコ屋さんに降りるエスカレーター脇のスピーカーから、場にそぐわない音量でクリスマスソングが流されているぐらい(>_<)
 教会はいつものようにクリスマスの準備が進められている。配布する印刷物やスライドショーの作成など毎年毎年のルーティンが始まって、先週あたりからクリスマスに関わる様々な下準備に振り回されている。同じようなことを今年も繰り返しながら、しかしこの12月13日の週報に次週20日の予告を書くところで、心が痛んだ。それは「礼拝後の予定」欄が原因。おそらく牧師として仕事を続けてきた中で、今人生初の言葉をそこに書いた。「礼拝後の予定:特になし」。
 クリスマス礼拝の後に特段の予定がないことなど、これまで経験したことがなかった。イヤむしろ「教会はクリスマスだからっていろいろとやり過ぎなんじゃない、もっとシンプルに、原初のクリスマスを思い起こすような」みたいなことを考えてきた方だ。だけど、「礼拝後の予定:特になし」と記すことがこんなに痛ましいことだったとは、我ながらちょっと驚いてもいる。
 これまでやれていたこと出来ていたことが出来なくなるというのは、どう理論付けてもやはりマイナス思考に陥るものだ。であればこそ、出来ない今を基準に物事を積み上げることにシフトする。人事異動の一つの意味かも。

2019年のクリスマスは、こんなに華やかだったラ・チッタ・デッラ

No.715 コメダ∽日本基督教団

珈琲所 コメダ珈琲店 川崎南加瀬

 先日、偶然付けたテレビでコメダ珈琲店が取り上げられていた。
 近所であれば南加瀬に川崎店がある。少し距離があるのでめったに行かないが、午前中なら飲み物の注文に厚切りトーストと玉子がサービスで付いてくることや、ディニッシュパンの上にソフトクリームが乗った「シロノワール」が有名な店。昨年全国47都道府県制覇を達成したんだと!
 このチェーン店の特徴が97%に及ぶフランチャイズ店だという。しかもどの店も地域に密着した展開をしている、逆に言うと「全国どこでも同じサービス」に納めないチェーン店ということ。実に面白い。
 コメダホールディングスの社長は日本マクドナルドの最高執行責任者やセガの社長を歴任し2013年に鳴り物入りでコメダの社長に就任した人。就任するとすぐ「客を飽きさせてはいけない」と確信して「販促キャンペーン」を導入すべく各店舗に説明に回った。ところがフランチャイズオーナーの反応は「ウチでは間に合っています」「ウチではやりません」だったと。
 それがコメダの強みだったのだ。社員サラリーマンではなく一国一城の主。社長といえども踏み込めない/踏み込まない領域を堅持するフランチャイズ。店員からオーナー店長になった人に店長になった当日話を聞いた社長。「昨日までは気づかなかったドアの傷が気になってしょうがない」と答えたという。それこそがあるじの心意気、サラリーマンでは無理でしょう、と笑う。
 日本国中に1650ほどの店舗(?)を持つのが我が日本基督教団。言われてみれば、我が教団こそフランチャイズチェーンではないか。
 上からの一律キャンペーンになんて従ってたまるか。「踊る大走査線」ではないが、事件は現場で起こっているのだ。この教会で、この教会が建っているこの場所で、ここでしかない福音の事件は日々起こっている。
 だから教会は面白い。一律どこでも同じサービスである必要なんてない。

No.714 日本シリーズ

 日本シリーズはあっという間に終わってしまった。結果は福岡ソフトバンクホークスが4勝無敗で4連覇となった。あちこちでセ・リーグとパ・リーグの力の差が歴然としているという声が聞こえる。さもありなん。
 我が家はセ・リーグの横浜ベイスターズファン(アンチジャイアンツとも言うなぁ)なので、日本シリーズでジャイアンツが負けたことには特別な感慨はない。だが巷で騒がれているように、確かに「両リーグの力の差が歴然としている」説は一理ある。どうしたものだろう。
 セ・リーグのオフシーズンになるといつも「ジャイアンツが○○球団の4番バッター/最多勝投手を獲得した」みたいなFA市場を独占するニュースが流れる。結局リーグ内の力関係が崩れて、結果ジャイアンツがリーグ優勝という構図だったのだな。選手側からすれば「超有名チームで選手生活の最後を飾りたい」という願いも理解出来なくはないけどね。でも結局そういう行為のすべてが、圧倒的な力の差を生んでしまったのではないだろうか。
 何せ今回ホークスで活躍した選手は育成が多いし。自力で育てた選手が活躍する、そりゃ地元福岡のファンじゃなくてもイイ話しじゃん。わが横浜ベイスターズも、連れ合いは「今の選手は誰なのかわからない」と言うほど若手の成長が著しいチーム。もちろんそれだけではセ・リーグで常勝チームにはなれないほど壁は高い。ましてやパ・リーグ相手となると絶壁か。
 コロナのために両リーグ交流戦が中止になったことや、セ・リーグで言えばCSも中止になったことは、チームにとっても選手にとっても、そしてファンにとっても「勝負の世界でしのぎを削る」ようなシビれが足りなかった。だけどここは手軽に「シリーズ改革」に逃げないで。地道に、時間がかかっても選手を育て、チームを成長させて、「やっぱり野球は楽しい」とわれらに思わせてほしい。今でも青少年の夢なんだから。

福岡ソフトバンクホークス(公式) on Twitter

No.713 医療崩壊の足音

得意のフリップで説明するのはいいんだけどね…

 先日、緊急事態宣言以来しばらく第一礼拝を休んでいる親子にばったり出会った。聞くと、お連れ合いの会社で、家族も皆不特定多数が出入りする場所に出向くことを禁じているという。それが厭だったり出来ない場合離婚を考えなければならない人も出ているとか。そこまでやるかとも思ったのだが、連日過去最高の新規感染者を輩出している現状と付き合わせると、あながち大げさではないのかも知れないと思う。
 そうこうしていると、秋田の実家から電話が入った。父が脳出血で倒れたという。幸い左の手足に麻痺が出ているが手術するまでもなく薬で出血を抑えたら1ヶ月ぐらいかけてリハビリをする方針らしい。あと10日もすれば91歳になる年齢を考えると、ラッキーだろう。
 だが、驚いたのはそこではなかった。救急車で搬送された病院で付き添った89歳の母に、担当者は事細かく「首都圏に関係者が住んでいないか。そういう人と接触があったか。」を詳しく何度も聞かれたという。家族ですら面会は限られたり時間を区切られたり、あるいは会えなかったりもしている現状は理解していたが、まるで素行調査のようなことまで病院の受付担当者がしているという事実に驚いた。過疎化が進み限界集落も抱える地域であれば、ただでさえ高齢医療の手が回らない中で、感染症重傷者の手当や万一クラスターが発生したらすぐさま医療崩壊と直結する緊迫感があるのだろう。確かに東京や神奈川の新規感染者が多いのは人口に比例しているわけだが、医療の逼迫状況はむしろ地方で・過疎地でこそ深刻なのだ。
 それにしても…。この国は先進国だと思っていたのだが、1月に発注した医療用マスクやガウンがもう12月になろうというのに手に入らない病院があるなんて、どうなっているのだ。しかも有効な手立ては「5つの【小】」って、真面目な話しなの、【小】池さん? 。

No.712 意見の異なる者がいる幸

新型コロナウイルス対策分科会尾身茂会長の記者会見【時事通信社提供】

 政府の新型コロナウイルス対策分科会尾身茂会長がテレビで見せたシーンは衝撃的だった。おそらくこれまでたくさんの学究成果を持っておられる専門の先生で、しかも御年71歳だと思われる方が、「食べるときは左手で(マスクを)外して、食べる。その時は喋っていません。食べるときはしゃべらない。飲み込んだら、(マスクを再びつける仕草)。」。子どもにでもわかるような丁寧な説明…ではなくて、なんだかそれを見せられている私が小馬鹿にされたようで腹が立った。
 これまで何度となく国民に向けてコロナ対策をご指南くださった会長だ。そのご苦労も偲ばれる。だけど、「新型コロナウイルス対策分科会」の仕事は科学的見地から有効と思われる政策を提言すること(新型インフルエンザ等対策特別措置法第6条第5項「新型インフルエンザ等対策を実施するための体制に関する事項」)ではないのか。もちろん非公開分科会だからおそらく席上では侃侃諤諤の議論が交わされていると信じたいが、いかんせん表に出て会長から出る言葉はほぼ全て国民に対する(要らん)指示ばかりに思える。
 つまりそういうことが「日本学術会議任命拒否」問題なのだ。本来政府が行おうとしていることの是非や真偽を、学術的分野から判断し提言してくれる存在がどうしたって必要だろう。であれば政権の意に沿わないことだって当然ある。だが、単に権力的に全てを推し進めるのではなく、学術的な批判に耐えられるものかどうかをしっかり見極める慎重さは絶対必要だ。逆に言えばいわゆる「御用学者」だけ集めて政権の意に沿うことだけを進言させていたら(いるから?)あんな衝撃的な映像が出来上がるのだろう。
 意見の異なる者をそばに置くのは、当然ながら苦労も多い。だからこそ「丁寧な説明」を含めた議論が大事なのだろう。ありゃ、「丁寧な説明」って言いさえすれば、やったことになるんだっけ?