3月14日の礼拝

復活前第5主日 主題「主の変容」
第一礼拝 9:30~9:50
 聖書 マタイによる福音書 17章1-13節
 おはなし 目がくらんだ
 担当 滝澤貢牧師
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 出エジプト記24章3−11節
  使徒書 ペトロの手紙Ⅱ 1章16−19節
  福音書 マタイによる福音書 17章1-13節
  交読詩編 145編1-13節
 賛美歌 賛美歌21から 1番 512番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 説教題 失敗するわたしを捧げる
 礼拝後の予定 CS教師会
教会役員会策定の【二度目の緊急事態宣言対処方針】に沿って短縮礼拝をおこなっています

No.727 思い起こしたこと

 先日車を運転していたら、あちこちでずいぶんと梅の花が咲いていることに気がついた。教会の周りには梅の木がないので気づかなかった──つまりわたしもずいぶんと「外出自粛」していたのだと改めて思ったりもした。
 そのルート上に梅の花に混じってコブシが咲いている。今年はやはり暖かいのかも知れない。そして足利市の山火事。これらのことが頭の中で重なって、ある風景がありありと思い出されたのだった。
 岩手県・遠野市に住んでいた頃、仕事のために週一度汽車(!)を使って盛岡まで出勤していた。夏場は車で通うのだが、冬場は汽車を使うことが、出勤を認めてくれた教会員の定めた唯一の条件だった。遠野駅から教会に向かって歩く道の延長線上にある城山の中腹に、春になると一際早く白い鳥が群がっているように見える大きな木があった。それがコブシ。周りは未だ緑にも染まらない中、唯一立っているコブシの木は凛として清々しかった
 その通勤ルート上に、大規模な山火事が発生したことがあった。今回のように数日燃え続けたのだった。そんなことがすっかり記憶から消えたある寒い冬の日、車窓に広がる山肌に、まるで等高線のように点々と点線が見えた。最初はなんだか良くわからなかったのだが、よく考えてみるとあの大規模な山火事があった斜面に新しく植林した跡が斜面が真っ白に雪に覆われて等高線のような点線になっていたのだ。
 山火事を引き起こしたのは人間だったわけだが、その被害を止め、再生へと動かすのもまた人間の業だった。等高線はその証明。それがわかった瞬間、わたしは感動していた。厳しいばかりの冬ではあるのだが、春にむかう冬の寒さには、北国人なら誰でも胸に持つ希望でもある。厳しい現実と、にもかかわらず降り注ぐ暖かい日差し。自然の力と人間の業とのせめぎ合いと調和を、そこにまざまざと見た思いがしたからだった。

3月7日の礼拝

復活前第4主日 主題「受難の予告」
第一礼拝 9:30~9:50
 聖書 マタイによる福音書 16章13-28節
 おはなし あなたはなんという?
 担当 滝澤貢牧師
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 ヨブ記1章1-12節
  使徒書 ペトロの手紙Ⅰ 4章12-19節
  福音書 マタイによる福音書 16章13-28節
  交読詩編 86編5-10節
 賛美歌 賛美歌21から 6番 232番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 説教題 岩のような信仰
 礼拝後の予定 3月定例役員会
教会役員会策定の【二度目の緊急事態宣言対処方針】に沿って短縮礼拝をおこなっています

No.726 不透明な「透明性」

武藤敏郎
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長

 「透明性」という言葉を辞書でひけばだいたいこんな答えが返ってくる。「制度の運営や組織の活動状況が、第三者にはっきりとわかるようになっていること。また、その度合い。」。
 今回東京五輪組織委員会会長の選出にあたり繰り広げられたドタバタ劇は橋本聖子五輪担当大臣が大臣職を棄てて(後には自民党を離党して)就任を受諾したことで決着したようだ。しかしその選出を巡って「会長の選任は国民にとって透明性のあるプロセスでなければならない」との組織委員会の姿勢の下「候補者検討委員会」が設置されたのに、誰がメンバーなのか、どういう議論が行われたのかなどあらゆる事は結局非公開で進められた。繰り返しになるが「透明性」とは「制度の運営や組織の活動状況が、第三者にはっきりとわかるようになっていること」であるにも関わらず、だ。
 森会長辞任とその後任が川淵氏になったと報じられた瞬間、多くの人が危機感を共有したようだ。森さんはそもそも総理大臣になるとき既に密室談合だったのだが、おそらくあの方の頭の中では、密室談合で決着することこそ最善の政治的解決方法だと信じて疑っていないのではないかと思われる。残念なのは、ただでさえコロナでオリンピックに向けた高揚ムードが消沈している現状に消防ホースで水をぶちまけるようなものだということが分からないほど、良く言えば混乱しておられたのだろう(「悪く言う」本音を綴ったらここがハラスメントな言葉のオンパレードになりそう)。その瞬間から密室談合を非難する声が驚くほど高まり川淵さんは辞退表明する。SNSが「国民の声」という力を発揮したことでもあった。
 このところたてつづけにSNSの力が発揮されるようになった気がする。誰でも意思を表明できるのは極めて良いことだ。その「意思表明」を今度は選挙でも発揮しなければ、本当に世の中を変えることにはならないのだけどね。

2月28日の礼拝

復活前第5主日 主題「悪と戦うキリスト」
第一礼拝 9:30~9:50
 聖書 マタイによる福音書 12章22-32節
 おはなし なんでもゆるされているけど
 担当 滝澤貢牧師
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 イザヤ書 35:1-10
  使徒書 ヨハネの手紙Ⅰ 3章1-10節
  福音書 マタイによる福音書 12章22-32節
  交読詩編 130編1-8節
 賛美歌 賛美歌21から 16番 356番 ほか
 説教者 小林充牧師
 説教題 神の国はあなたたちのところに来ているのだ
 礼拝後の予定 特になし
教会役員会策定の【二度目の緊急事態宣言対処方針】に沿って短縮礼拝をおこなっています

2月定例役員会・主な審議事項

(1)コロナ対策
 宣言の延長に伴い対処方針も延長する
 ホスチアとポーションによる聖餐式も慣れれば問
(2)クリスマス献金について報告を確定した
(3)招聘に関する件
 平井牧師18日19日川崎滞在、引き継ぎをする
 牧師館改修見積通り発注(約80万)する
 平井牧師は3月23日に引っ越してくる予定
(4)2021年度教会総会日程 4月25日
(5)イースター礼拝は合同で行う
 その他の詳細はCS教師会に委ねる
(6)教区総会は未だ案内が届いていないが例年であれば2月最終土曜日に開催される
(7)川崎キリスト教学園について
 武田評議員辞任、滝澤評議員は資格喪失
 武田評議員の選出枠で滝澤貢を推薦する
(8)その他消息等略

No.725 人生にはあそびが必要(自己弁護ぢゃないよぅ)

 このところなかなか寄席に行けない。外出する機会もめっぽう減ってしまったのが原因だが、何せどうひいき目に見ても「寄席に出かける」事が「不要不急」以外の何ものでもないわけだし。
 独演会は芸人の真髄をたっぷり見て聞いて、その人となりを味わう貴重な場所であり時間だ。それももちろん楽しみなことではある。だけど一方でいろんな芸風を持ったいろんな芸人が様々な芸を短い時間で披露する寄席という場所もなかなか面白いものだ。
 だいたい芸人は「わたしの話は社会にとってちっとも有意義ではない」と平気で言う。「不要不急」そのものだと言っているようなものだ。だけどそういうものこそ実は意味があるのではなかろうか。
 40年近く前、免許を取得するために自動車学校に通った。車の簡単な構造なども学ぶ。その時車のハンドルやブレーキには「あそび」と呼ばれる、余裕というかゆとりというか隙間というか(他の表現が見当たらない)があって、しかも絶対必要だと習った。下手をすればいのちに関わる自動車の運転にとって、構造上あそびがどうしても欠かせないというのはなんだかとっても哲学的な示唆があるではないか。
 目に見えないウィルスに怯え続けた1年。もちろんただただ怯えていた頃からすればずいぶんとその正体も判るようになった。それでも自由が利かない状態は全く変わらない。「あそび」が重要だという説はかなり説得力ある。
 一見「無駄」のように思えるもの、「無意味」に思えるもの、あるいは「邪魔」なように見えるもの。世の中にはたくさんあるし、わたし自身の中にもたっぷりある。14年ぶりの引越に向け、やったことのない片付けなんぞをしてみると、それはそれはほとんど棄てて構わないようなものだらけ。一体何をそんな後生大事に保持していたのか、我ながら呆れているのだけれど…。