【1月定例役員会・主な審議事項】

(1)クリスマス礼拝の評価・反省について
 礼拝102名、祝会89名参加
 祝会のテーブル配置はタテで良かった
(2)クリスマスイヴ礼拝の評価・反省について
 礼拝32名、お茶会20名参加
 24日は交通渋滞が予測されるので、なるべく配送する業者に食べ物などを予約する
(3)年末年始の教会行事の評価・反省について
 新しい礼拝の試みについて感想を交えて協議
 主の祈りはこれまで通り、頌栄はバリエーションをつけてみる
 主の晩餐の聖礼典は新しい式文を使う
(4)クリスマス献金について
 例年1月中にも入金があるので今月末で締める
 会堂献金2件の選定は牧師一任とする
(5)小林充牧師を2020年度協力牧師として、招聘を継続する
(6)その他消息等略

No.668 心もおなかも温かい

 年明け早々、幼稚園には賑やかな恒例行事がある。お餅つき。今年も10日に行った。稀に見る暖かい日だった。
 大門に3基の竈、園庭の平らな場所に石臼が3基。道具小屋の前には湯沸かし専門の竈を設え、園庭タワー脇には木臼が1基。これで25臼の餅を午前中につき終える計画。つき手はお父さんたち。この日仕事を休んでくださったり半休を取ってくださった15名。バックヤードには「お餅つき」係のお母さんたち19名。鏡餅、伸し餅をはじめ、子どもたちの口に入るあん餅、きなこ餅、磯辺餅が次々につくられる。
 教会と幼稚園のある川崎区小川町では町内会での餅つきが未だに行われている。餅つきの合間に運転手さんたちにも聞いてみたが、町内会は老人ばかりなので餅つきはやっていないという。近くの団地では続けているとも。してみれば、都会のど真ん中で町内会が機能していることも、餅つきという行事が保存されていることも、今となってはなんだかスゴイ事だ。
 この季節は厄介な風邪や胃腸炎の流行期でもある。衛生上の理由でいちばんやり玉に挙げられるのも餅つき。それを大義に取りやめる例もたくさん聞く。今回聞いたところでは、形として餅つきはやるが、ついた餅は食べないと。じゃぁ何を食べるかといえば機械がついた食べる用の餅だって。まぁ確かに、一旦何かあったら主催者がすべての責任を引き受けなければならないわけだから、危険なことには手を出せないという判断も理解出来ないものではないが、それにしても、と思ってしまう。いろいろとやりにくい時代ではあるなぁ。
 お父さんたちが力一杯杵を振るう姿を間近で見ている子どもたちの顔は幸せで楽しそうだ。今大切にしたいのはそういう幸せの連鎖だと改めて思った。だから何とかできる注意は全部払いながら、これからも続けてゆきたい。
 楽しい美味しいが不幸せを呼ぶはずはないのだから…。

1月19日の礼拝

降誕節第4主日 主題「最初の弟子たち」

第一礼拝 9:00~9:30
 聖書 エフェソの信徒への手紙3章14-19節
 おはなし どれだけ大きい?どれだけ深い?
 担当 滝澤 貢
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 サムエル記上3章1-10節
  使徒書 ガラテヤの信徒への手紙1章11-24節
  福音書 ヨハネによる福音書1章35-51
  交読詩編 119編1-16節
 賛美歌 賛美歌21から 413番 516番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 ぶどうの会

No.667 過ぎ去った年を振り返ると…

 年末に幼稚園1階保育室と園児玄関の床張り替え工事が終わり、台風15号の床上浸水への対応が一段落した。床が新しくなったことで、部屋の使い方をもう一度みんなで考えることとなり、今後の保育環境に良い影響を与えてくれそうでもある。
 幼稚園の2台のバス駐車場としてお借りしていた隣地がマンションデベロッパーに売却された。冬を前に古い建物が完全に除却され、幼稚園と隣地との間のフェンスが一部隣地に侵蝕していることが判明した。年明けにはこれに対応する更新工事を行わなければならない。
 12月2日には、冬ではほぼ記録にないような集中豪雨に見舞われた。子どもたちを通常通りお迎えや帰りのバスに乗り込ませた辺りで、例によって排水溝の逆流が始まり、あっという間に冠水。エレベーター地下ピットが水深1メートルに達するのに20分もかからなかった。この水没からの復旧に徹夜の作業となった。
 この場所で新しく建物を建てて、幼稚園と教会が思いを新たにして20年を超える。20年前には想像もつかなかったようなこと、あの時けりをつけられないままで来たこと等々が、20年を経て大きな問題となって突きつけられている。2019年はそういう年だった。
 わたしたちを困惑させるのは、こういうことが2019年だけの特異な例では終わらないだろうという深刻な思いが頭を過ることだ。異常気象が通常気象現象となるなら、これからも水害は避けようがない。そしてこのままここに建ち続ける限り、わたしたちに出来るすべては「対症療法」でしかないということ。
 過ぎたことをクヨクヨするのはシャクだが、これを希望に変えるにはなかなかのエネルギーが必要だ。なんせ信仰が薄いものでして…バキッ!!☆/(x_x)

1月12日の礼拝

降誕節第3主日 主題「イエスの洗礼」

第一礼拝 9:00~9:30
 聖書 コリントの信徒への手紙1 13章1-13節
 おはなし サイコーのみち!
 担当 滝澤理子
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 イザヤ書42章1-9節
  使徒書 エフェソの信徒への手紙2章1-10節
  福音書 ヨハネによる福音書1章29-34
  交読詩編 36編6-10節
 賛美歌 賛美歌21から 484番 277番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 CS教師会

1月5日の礼拝

降誕節第2主日 主題「受肉の秘義」
川崎教会新年礼拝

第一礼拝 9:00~9:30
 聖書 ローマの信徒への手紙5章6-11節
 おはなし わたしが「宝物」?
 担当 武田直美
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 イザヤ書40章25-31節
  使徒書 コロサイの信徒への手紙1章1-14節
  福音書 ヨハネによる福音書1章14-18
  交読詩編 103編6-13節
 聖餐式執行 配餐 谷戸久美子・松島美一
 賛美歌 賛美歌21から 59番 255番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 クリスマス片付け・1月定例役員会

No.666 重苦しい事件だった

 元農水相事務次官が自分の長男を殺害した事件は、その後実刑判決が出て、更に驚いたことに保釈された。殺人罪で実刑が言い渡された被告人が保釈される例はほとんどないそうだ。
 この事件を報道でのみ知りえた感想は「もう少し何とかならなかったのか」だ。それは元事務次官が長男に対して接してきた事柄に向けられているし、その上でいわば「手に負えなくなった」時にも向けられている。
 衝撃的だったのは、長男は被告人の妻名義の家で一人暮らしをしていたが、被告人と同居に戻ったのが事件の一週間前だったということ。つまり、たった一週間で殺害に至ったということだ。
 それまでの間被告が男性には珍しいほどに息子の世話をしていたという立場の報道があった。妻も精神的に病んでいて世話をさせることが出来なかったという。長男も被告の肩書きを誇りに感じていた時代もあったようだが、中学2年生の頃からいじめが酷くなって彼は次第に引きこもるようになったらしい。残念ながら引きこもりの10%程度には慢性的な暴力が伴い、50%程度には一過性の暴力が伴う。行き場のない悲しみが暴力に向かってしまう。そして爆発した暴力は「悲しみの連鎖」を生む
 長男の暴力的行為に怯え、同居を始めて一週間でその彼を30数カ所刺して殺してしまったのだ。父の犯したこの取り返しのつかない一過性の暴力もまた、連鎖された悲しみだったのかも知れない。でも、だからこそ、そうなる前にもう少し何とかならなかったのか。
 「8050」だとか、「中高年引きこもり61万人」だとか、センセーショナルな数字が羅列される。確かに数字は深刻さは伝えるだろうが、希望を伝えることはない。「もう少し」が何なのか、数字は教えてくれない。
 この事件は、だから重苦しい。胸が詰まる。

12月29日の礼拝

降誕節第1主日 主題「東方の学者たち」
川崎教会年末礼拝

第一礼拝 冬休み
 聖書 
 おはなし 
 担当 
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 イザヤ書11章1−10節
  使徒書 ガラテヤの信徒への手紙3章26−4章7節
  福音書 マタイによる福音書2章1-12
  交読詩編 145編10-21節
 賛美歌 賛美歌21から 256番 560番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定
  賛美歌を歌う会21-25「父・子・聖霊に」

No.665 使わぬ自由・持たない自由

 消費税が10%になると騒いだ頃、その流れでもう一つ騒ぎがあった。電子決済。現金でない方法で決済すると政府から5%還元され、電子決済サービスを行う会社からも幾ばくかの還元があるというもの。
 近所のとてもよく利用する中国料理のお店は、8月に還元指定登録を申請し、11月の終わり頃になってようやく許可が下りたようだ。店内に赤いポスターで「5%還元」の文字が躍っている。だが、我が家は相変わらず現金決済なんだけどね。
 さすが中国料理屋さんだなぁと思った。というのも、中国ではスマホは言うに及ばず、その中でもあるチャットアプリを利用しなければ、普通の生活も送れないような状態にあるらしい。
 登録には仮名・架空ではない名前や住所が必要なのはもちろん、銀行口座も登録する。生活上のあらゆるサービスがチャットアプリ上で行われ、行政サービスでもスマホを持っていない人の窓口はあるにはあるが「スマホを持つ人と一緒に出直してこい」とあしらわれているとか。なにせ9億人以上が利用(19年6月時点でアクティブユーザーは11億3200万人!!)しているのだ。コンビニのレジには釣り銭も用意がないとか、当局に抵触する発信をしたら、自撮りの顔写真や音声を登録されるとか、様々尾ひれのついた話しになっている。
 日本でもある調査によると20代から70代の日本人男女100人に「スマホアプリ利用で個人情報登録が必要だとしたら?」と聞いたところ、「便利になるなら問題ない」が72人、「個人情報登録したくない」が26人、「わからない」が2人だったという。サンプルが少なすぎるけど、ご勘弁。
 「みんなが使っている/持っている」。サンタさんへのおねだりの定番セリフだけど、案外おとなの方がその考えに支配されているのかもね。

No.664 便利を再考できるかな

 クリスマスが近づくと、教会でもさまざまな品物の手配が増える。以前は足を運んで買い物をしていたのだが、今その殆どがネットショップ頼み。パソコンの画面で欲しい商品の細かな希望がほぼ叶ってしまっては、あの店この店と車を走らせ足を運ぶことが苦痛になってしまう。
 便利になるということは確かにうれしい。でも便利になるということは、「便利」というシステムが整備されて初めて叶うことでもある。そして今のところ「便利」というシステムのボトムエンドは「人力」から逃れられない。
 ということは、わたしは「便利」というモノを買うことになるわけだが、その「便利」のために、誰かがモーレツに働かなければならないということでもある。それが働きに見合うだけの補償、つまりペイされれば良いのかも知れないが、ボトムは大体搾取の対象というのが経済の原理だろう。
 そのシステムが実際誰の目にも明らかに見えるのがコンビニなのかも知れない。店主が挙って「元旦スト」と明言した。知らなかったが、たとえ個人商店であったとしても、休業するためには本部の許可がいるのだとか。だから挙って声をあげる必要があったのだ。
 かつては3が日ぐらいは街が静かだった。初詣の名所はしかたないにしても。松の内は休むという風習もうっすら覚えている。それがいつの間にか初売りが3日になり、2日になり、元日になり…。飛ぶ鳥を落とす勢いだった(そして実際百貨店を凌いだ)コンビニチェーンにも、人手不足という台風が吹き荒れ、開きたくても開けない現実が押し寄せている。
 ネットショップも、最後はその商品を誰が運ぶかにかかるわけで、わたしが店から店へ足を運ばない代わりに誰かが我が家まで足を運んで商品も運んでくれる。有難いよね。でもただ「有難いよね」で済まして良いのかどうか、わたし自身も答えを探しあぐねているのだけど。