No.685 新しい試み

 牧師の友人たちの多くが、コロナの影響の下で様々な手段で牧会をしている様子が伝わってくる。すごいなぁと思う。新しい取り組みをしている報告もある。今は一人ひとりが簡単に発信できる時代。そういう機材も普通に身近に存在する。様々に活用されている事例を知るにつけ頓悟する思い。
 思えば、長い間教会のこちら側に居続けてきたので、例えば教会とか礼拝とかは「来るもの」だった。たまに交換講壇だとか何かで担っている教会ではない場所の礼拝に出席すると、教会や礼拝に「行く者」に変わり、新鮮だった。だがそれは例外的なことで、牧師は教会に人を迎える/招くものだ。
 ところが、コロナの影響で教会や礼拝に人々が「来る」に困難を覚えるようになった。「来るもの」前提の教会の礼拝が成り立たなくなった。「無会衆礼拝」をしているという報告もあった。
 教会や礼拝に「来られない」状況は何もコロナに限ったことではない。この当たり前のことに漸く気づいた。「来る」前提の牧会と「来られない」前提の牧会に、本来的な違いはないはず。ならば、使えるツールを活用して様々な実験をこの機会にやっておくのは意味深い。
 落語の世界でもデジタル配信が始まっている。好きな落語家が三夜連続で行った。客席に誰もいない中、カメラに向かって落語を語る。実際にやりとりはしないけど、観客との間に心のやりとりがあって初めて高座だったと改めて思うと語っていた。だが一方、寄席の収容人員を遙かに超える三千人の登録者を前に語るということは、新たな挑戦であり、新しい世界を切り開くかも知れない、とも。
 これまでも例えばEテレで一人落語を語る番組もあるにはあった。だがそれは例外中の例外。自粛もいつかは解除になろうが、その時、今始まった新しいスタイルが無意味になるのかどうか。いずこも挑戦なのだな。

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