No.716 「予定なし」と記すこと

 教会の一本表通りは「ラ・チッタ・デッラ」という映画館を中心とした商業施設であることは何度か書いた。そして今年クリスマスの装飾がおとなしめであることも。
 そう思う大きな要因はチッタの中心にそびえるガラスのタワー。いつもならこのタワー全体が季節感あふれる電飾で演出されるのだけれど、今年クリスマスに特別な電飾は施されていない。通りの木々や建物を横断する電飾はあるものの、それ以外にクリスマスを感じさせるものはない。唯一、地下1階にあるパチンコ屋さんに降りるエスカレーター脇のスピーカーから、場にそぐわない音量でクリスマスソングが流されているぐらい(>_<)
 教会はいつものようにクリスマスの準備が進められている。配布する印刷物やスライドショーの作成など毎年毎年のルーティンが始まって、先週あたりからクリスマスに関わる様々な下準備に振り回されている。同じようなことを今年も繰り返しながら、しかしこの12月13日の週報に次週20日の予告を書くところで、心が痛んだ。それは「礼拝後の予定」欄が原因。おそらく牧師として仕事を続けてきた中で、今人生初の言葉をそこに書いた。「礼拝後の予定:特になし」。
 クリスマス礼拝の後に特段の予定がないことなど、これまで経験したことがなかった。イヤむしろ「教会はクリスマスだからっていろいろとやり過ぎなんじゃない、もっとシンプルに、原初のクリスマスを思い起こすような」みたいなことを考えてきた方だ。だけど、「礼拝後の予定:特になし」と記すことがこんなに痛ましいことだったとは、我ながらちょっと驚いてもいる。
 これまでやれていたこと出来ていたことが出来なくなるというのは、どう理論付けてもやはりマイナス思考に陥るものだ。であればこそ、出来ない今を基準に物事を積み上げることにシフトする。人事異動の一つの意味かも。

2019年のクリスマスは、こんなに華やかだったラ・チッタ・デッラ

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