No.731 最終回ですが…

 14年ぶりの引越、行き先が今の住まいより大分小さくなるので思い切っていろいろなものを捨てた。捨てざるを得なかった。
 断捨離といえば「スリムになって心もスリムに!」みたいな良いことしか聞こえてこないが、私にとっては全く逆だった。持っているものを捨てる(棄てる)ということがこれほど心を蝕むものだとは思いもしなかった。
 通常、新しいことが始まる時は期待にワクワクするものだが、そうならないのは単に年齢を重ねたからだけの問題ではなく、「棄てる」事につきまとう喪失感だった。その正体は何だろう?
 14年前は子どもたちも小さかった。家にあるあらゆるモノをとにかく運び出した。それでもいろいろと処分はした。入る家が小さくなるからだ。そして今回さらに小さくなる。棄てざるを得ない。物惜しみも確かにあるが、必要だと思って集めたモノに「不要!」という烙印を押すのだ。集めたことが無意味だったと言っているようなもの。10数年費やしてきたあらゆる事が「不要!」「無意味!」と断じられてしまったような、そんな喪失感。これは心を蝕む。
 だが、ここはやはり敢えて考え直す。今、棄てることが出来たのだ。生きていればこそ不要品も溜まる。それは「品」が不要になっただけのことで、自分という人間が「不要」になったこととは違う。そして不要なモノを所持しないことが今後、自分にとっても世界にとっても、きっと意味があると信じる。そういう暮らしにこれから先の時間を賭けてみる。今、そういう決断の時だったのだ、と。つまり、断捨離というより脱皮、かな(?)。
 いよいよにっちもさっちも行かなくなったことがずいぶん昔にあった。そしてその場から文字通り脱出した。夜逃げほどひどくはなかったけどね。引越にはそういう側面が確かにある。だが今回は「脱出」ではなく「脱皮」だ。誰がなんと言おうと!

蝉は脱皮じゃなくて羽化だけどね

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