No.702 自己責任が国の基本

 党内派閥をひとつに束ね圧倒的多数を獲得して、どうやら自民党総裁選挙は告示前に当選確実が出たようだ。
 菅官房長官。後出しジャンケンのように3人の中ではいちばん後に立候補を表明した。大多数確保が確実になったからだろう。
 先日NHKテレビに出演した菅氏は、手書きのパネルをかざして「国の基本は、『自助、共助、公助』だ。」と述べた。そして「自助とは、出来ることは自分でやるということ、それが出来なければ共助つまり家族親族や地域の助けを借りる。それでもだめなら国が責任を持つということ」と解説までしていた。
 この「自助・共助・公助」、最近各自治体が精力的に取り組んでいる「地域包括ケアシステム」のいわば標語でもある。だが菅氏が言うこととは少し違う。自分で出来ることをするのは「責任」ではないのだ。そうではなく出来るだけ自分で出来ることをやることでQOLを上げる。そのために家族や地域が見守り支える。国はセーフティネットの網を細かくして必ず助けるという意味。だが菅氏が言うところに従えば、自分で責任を負わなければ国は助けない、という地域包括ケアシステムとは全く別物の発想だ。
 これまでも例えば生活保護を受けようとすると「親族がいるのだから、まず親族に助けを求めよ」と言って窓口から追い出されることが頻発していた。小田原で「生保なめるな」ジャンパーが問題になったこと、記憶に新しい。菅氏の言うことが「国の基本」であるということは、この国は徹底して「自己責任」を追求するのだと言ったことと同じだ。
 例えばコロナ禍。罹患は自己責任か。毎日繰り返される大本営発表のごときものは、逆に国や地方自治体が有効な施策を打てていない証拠だろう。
 罹患者が差別され責任を負わされる、それが国の基本だなんて御免被る。

NHKニュースウォッチ9:2020年9月2日

9月6日の礼拝

第一礼拝
 聖書 ヨシュア記3章14-17節
 おはなし 壁を越える力
 担当 滝澤貢牧師
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 出エジプト記 4章4-9節
  使徒書 ローマの信徒への手紙 7章1-6節
  福音書 ヨハネによる福音書 8章3-11節
 賛美歌 賛美歌21から 205番 222番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 聖餐式執行
 配餐 武田直美・酒井一宏
 礼拝後の予定 CS教師打合せ
※コロナ対策のため短縮礼拝です

No.701 辞任

 総理大臣が辞任した。健康上の理由で継続を断念したことはさぞかし悔しいことであったろう。その点では同情申し上げるし、今後治療が進み回復されることを祈る。
 だが、この総理大臣の実績については全く評価できない。
 この方は、小泉首相が北朝鮮を電撃訪問したときに総理の横にいた(官房副長官だった)。だからかも知れないが、拉致問題について問われると「私自身が金委員長と向き合わなければいけないと決意している」と言うだけは言った。だがわたしたちの目にそれが行われているようには全く見えなかった。北方領土問題はどうか。地元山口県長門温泉(中でも高級で有名な旅館)に個人的に招待し、ロシア大統領との親密ぶりをアピールしたが、「最低でも2島」どころかひとつとして戻って来ない。一方で沖縄に対する新基地の押しつけと非情な差別、モリカケ問題やサクラ問題も「丁寧な説明」という言葉とは全く逆で、一言も説明していない。一体わたしたちは何を評価しろと?
 「今夜のお月さんはまん丸で雲一つない夜空にくっきり浮かんでいる。お月さんだけ見ていれば悠久の昔から面々と受け継いできた人間の歴史を痛感する。が家に入るとすぐに経験した事のない非常事態が宣言された先の見えない現実の困難さに心が萎える。しかしきちっと生き抜けるにはしっかりするしかない。」これは首相辞任と同じ日に死亡が伝えられた内海桂子師匠のTwitter。ユーモアの中にもピリリと風刺が効いた人柄が短い言葉でも伝わってくる。花王名人劇場で「桂子・好江」の漫才にどれだけ温かく笑わせてもらったことだろう。このツイートも97歳とは思えない。博士でも大臣でもなく、こういう人にこそなりたいものよ。「末は博士か大臣か」という言葉があったことなんて今では誰も信じないのではないか。
 そういう世情を彼は固めたのだ。7年、2803日かけてね。

8月30日の礼拝

聖霊降臨節第13主日 主題「神からの真理」
平和月間
第一礼拝 夏休み中
 聖書
 おはなし
 担当
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 出エジプト記 4章4-9節
  使徒書 ローマの信徒への手紙 7章1-6節
  福音書 ヨハネによる福音書 8章3-11節
 賛美歌 賛美歌21から 499番 433番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 CS教師打合せ
※コロナ対策のため短縮礼拝です

No.700 700回

 日々よく通る街並みに「閉店」の看板を見かける。立地の良さそうな場所だったり、地下モールだったりするのに、やはり感染症の影響かななどと思ってしまう。経済を研究熟知しているわけではないので単なる印象だけだが。
 「閉店」の看板を見て最初に心に浮かぶのは「あらぁ〜」という感情。それには「ちょっと残念だね」という思いが含まれる。そのくせ、閉店した店の常連ではない、どころか良くて1〜2度訪れた程度。中にはもちろん一度も入ったことのない店も多い。その店の売上げにたった一度も貢献したことはないくせに「閉店」の看板に「あらぁ〜」と感じてしまうのはなぜだろう。
 そこに存在したものが無くなってしまうことへの一種の無常感が生まれるのかもしれない。存在しているものは存在し続けるものだと無意識に感じていて、それがある時急に無くなることでイレギュラーへの過剰反応をしてしまう、みたいな。
 そうは言いながら、例えばよく通る街並みのくせに「閉店・取り壊し」された途端に、そこに何があったのか思い出せないことも良くある。無常観どころではない。むしろ「無情」と言うべきか。
 忘れられてしまうことへの、なんとも表現しがたい恐ろしさをわたしも持っているのかも知れない。だから「無常観」が生じるのであって、それをこともあろうに自分が忘れてしまうことへの罪悪感のごとき「無情意識」を感じてしまうのだろうか。
 だからかも知れないが、忘れないためにではなく忘れてしまうから記録しておく、綴っておくという作業が少なくともわたしには必要だ。なんでもメモする人もいるがわたしはそれはしないし出来ない。だが忘れてしまうから今記録する、綴ることは出来るし、やろうと思う。
 700回はその連続だ。

No.699 玉音放送

 8月15日を川崎教会の週報「今週の予定」欄では「敗戦の日」と記している。
 通常カレンダーなどでは「終戦の日」とか「終戦記念日」と呼ぶ方が多いだろうと思う。だがわたしは西中国教区時代に「敗戦の日・追悼と平和を求める集会」という集会名称に衝撃を受け、またその集会のプロデュースにも関わってきて、8月15日を「終戦」ではなく「敗戦」と位置づけることの意味を感じてきていた。だからそのように記し続けている。
 8月15日は、いわゆる「玉音放送」が流された日だ。天皇が「ポツダム宣言を受け入れることに決めた」とラジオを通じて国民に伝えた日。だが、文字通り「受け入れることを決めたと伝えた」のであって、実際に宣言が調印されたのは9月2日。従って国際的には太平洋戦争終結(=終戦)の日は9月2日だ。ところが日本においてはこのラジオ放送があった日が「終戦」の日だとされて、わたしも西中国で意識を変えるまではそのまま思っていた。
 東京でラジオ放送が始まったのが1925(大正14)年、全国放送になったのが1928(昭和3)年。柳条湖事件勃発が1931年。時系列を並べてみればラジオ放送が軍部プロパガンダとして利用されてきたことが良くわかる。そしてラジオのプロパガンダ放送のお終いが「玉音放送」だったわけだ。
 ある日昭和4年生まれの父に「どうして8月15日に玉音放送があることを知ったのか」と尋ねた。答えは簡単。「予告があったから」と。14日21時のニュースと15日7時21分のニュースの2回行われたらしい。で、「内容わかった?」と聞くと、「わかるわけがない。聞き取りにくかったし。だが周囲の大人が悲嘆している様子から察した」と言った。なるほどな話しである。
 最後のプロパガンダは結果的に大成功だったのだろう。みんなが8月15日を「終戦」としているのだ。でも本当は中味をこそ伝えたかったに違いない。そこに記されているのは敵国の酷さ。だから「耐え難きを…」なのだと。

8月23日の礼拝

聖霊降臨節第13主日 主題「神からの真理」
平和月間
第一礼拝 夏休み中
 聖書
 おはなし
 担当
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 ヨブ記 28章12-28節
  使徒書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 2章11-3章9節
  福音書 ヨハネによる福音書 7章40-52節
 賛美歌 賛美歌21から 57番 61番 ほか
 説教者 小林充牧師
 説教題 メシアはガリラヤから出るだろうか
 礼拝後の予定 なし
※コロナ対策のため短縮礼拝です