No.680 0.1ミクロンがもたらす変化

 唐突なのだが、わたしは小さい頃ほとんど「外食」をした記憶がない。
 父は大工で、一日中体を使って働いたらまっすぐ家に帰ってくる人。わたしの成長と共に彼の酒量も成長していったが、必ず家で夕食──と言うより晩酌かな──をとる。だから3人で外食という思い出が少ない。
 ところがいつの間にかわたしは外食抜きに自分の生活を考えられない。そう自慢(?)できるほど、1週間の生活の中に1回(以上?)は組み込まれている。どうもわたしはそうすることでストレスを発散しているようだ。
 ところが最近は「外出を控えろ」という。専門家会議からの提言も当初は「宴会自粛」だったのが、近頃は「飲みにも行くな」と、小さな、ささやかなストレス発散の機会にも×印が出される。外食に後ろめたさがつきまとう。
 でも、わたしたちはそういうフェーズを迎えているということなのだろう。ウィルスがある日突然気まぐれで自己消滅でもしない限り、わたしたちは長い間このウィルスと共存していかなければならない。もちろんワクチンや治療薬が開発されれば劇的にその脅威を抑え込むことはできる。だがそれと共存する状態はそれでも続いてゆくだろう。大げさな言い方をすれば、生活や文化や風習の方をそういうフェーズに見合ったものにしてゆくことが始まった、ということなのかも知れない。
 「みんなで、集まって」行う礼拝を、違う形に検討する教会もたくさん出始めた。これは単に感染症蔓延のための急場しのぎなのか、あるいはひょっとして「教会観」までも変更する萌芽となるのか、興味がわく。曰く「2千年の歴史」と豪語(!)してきた教界に、突如として現れた強烈な外敵。変えないリスクと変えるリスクのせめぎ合いから、どんなアウフヘーベンが起きるのだろう。
 で、と。今日はどこで呑もうか。家or外? (爆)

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