国会では憲法審査会が開かれている。総理大臣が臨時国会冒頭で語った所信表明演説では「令和の時代に、日本がどのような国を目指すのか。その理想を議論すべき場こそ、憲法審査会ではないでしょうか。」と述べて、「必ず改憲を成し遂げる」という宣言どおりに事柄を進めようとしている。
改憲勢力の主張は「我が国の実情を踏まえた改憲議論の重要性」だ。世界の情勢や地球環境が急激に変化する中で、憲法だけがなにも変わらないままで良いのか、と言う。国民の教育を受ける権利を「教育無償化」と明記すべきとか、災害が頻発する中で救助・復興活動をする自衛隊を憲法に明記してその働きの根拠を定めるべきだ、とか。
だが「憲法」というのは、総理の言う「どのような国を目指すのか」の基本原理として、主権者である国民の側が国家権力の暴走を抑制するのがそもそもの意義だ。そこから考えた時、世界の情勢や地球環境がどれ程急激な変化を見せたとしても、逆に「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」の3原則が変更されなければならない理由にはあたらない。この3原則以外の、あるいはこの3原則ではない別の原則が本当に必要なのか。
確かに権力者たちにとっては「別の原則」が必要なのだ。だから彼らは現行憲法を「押しつけられたもの」と言い続けている。その主語は「占領軍」と言うが、ホンネはそうではないだろう。「国民」が権力側に押しつけていることが許せない、権力側がもっと権力を謳歌したい。それがホンネだ。
権力者は詐欺師のようにわたしたちから主権を奪い取ろうとしているのだ。だから「国会の憲法審査会なんてわたしたちの暮らしの中ではほとんど意味がない」と思うように、そういう術にはめられている。そしてひとたび改憲発議されれば、あたらしい憲法草案がどれだけカッコ良いかテレビCMで垂れ流される。そういう時が刻一刻迫っている。