No.674 無為でいることは許されないのだな

 幼稚園は1年のまとめと卒園に向けたスケジュールの中で、今年度の残り10日あまりを過ごしている。
 21日には産業振興会館を借りて「小さな音楽会」を催した。各学年で打楽器の合奏と歌と2曲を発表する。「発表」と言ってもいわゆる練習を重ねて出来映えを際立たせるようなモノではない。音を楽しむ、ステージで自分を見てもらうことが嬉しい、それを実現するためのモノ。当然ハプニングもあり笑いもあり。子どもたちがみんないい表情をしている。
 当日の欠席連絡も含めて都合8人がお休みだった。子どもの施設には良くあることだが、2月半ばからいわゆる「おなかのかぜ」の流行りが見られるようになり、その影響も残っていた。「新型コロナウィルス」騒動とは無関係。神奈川県は言ってみればその渦中にある(お隣には船が泊まったままだしねぇ)訳だが、今回開催を危ぶむ声は上がってきていない。
 国を挙げて様々なイヴェントが相次いで中止・縮小されている。それが健全な判断なのかどうか私には分からない。人は「漠然とした不安」に弱い。「空気」を「読む」文化(?)の国なのだ。「漠然とした不安」を読んだら「不安」なのだろう。尤も今のご時世なら「空気」を「吸う」ことも危険かもね。
 「発熱などの風邪の症状が出たら学校や会社を休んでください」と厚労省の「新型コロナウイルスに関するQ&A」にあるが、週末たまたま出掛けた品川駅はいつもと変わらぬ帰宅ラッシュ。幼稚園なんて子どもに「お休み」を勧告することは簡単だが教師に勧告することは、その一人の欠けをいつまで・どうやって補うかの見通しが立たなければ簡単ではない。だからこの「Q&A」もそのレベルだなぁと苦笑いするしかない。
 いのちには限りがある故に、それはできるだけ無為でありたい。今回のことも単なる騒動ではなく、すべてのいのちを考えるきっかけであればと思う。

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