6月19日に県を跨ぐ往来が解禁され、休業・自粛要請も全て解除となり、人々の動きが活発になった。7月に入ると、街はますます通常に戻っていった。幼稚園もほぼ通常の通園状態、園バスの運行も再開した。
様々な事柄が元に戻っていくときに、いちばん心配したことは家庭が崩壊していないか、自殺者が増えないか、これまで感染症の陰に隠されていたことが一気に吹き出してくるのではないかということだった。
幸い、関係する施設でそういう問題は浮上しなかった。ただこれは「今のところ」と言うほかない。皆、過度なストレス状態に置かれていたし、そんなストレス状況は今も続いているのだから。
そして問題は思わぬ展開を迎える。東京で感染者が増大し始めたのだ。都が発表している「新規患者に関する報告件数の推移」グラフを見ると、今がちょうど第二波の入口のような図形。「第二波に備える」というのであれば対策をとるのは今がタイムリミットと思われる。
だけど東京都知事は「「夜の街」に出かけないで」としか言わないし、国の大臣に至っては記者会見で逆ギレし「感染症対策を個人でもっとしっかりやれ」と。どちらも第二波に備える対策は「自己責任ね」と言っているのと同じ。「都も国も責任は負いません」と。
もちろんこんなことは今まで誰も経験したことがなかったのだ。目に見えないモノの恐怖は別にこれまでもあった。だけどそれはつねにどこか他所で起こっていたことだった。「大変だね」とは言ってきたが、大変なのはいつも「他の誰か」だった。だから今目の前で起こっていることを記憶にとどめ、記録を残しておく必要がある。ひとつの出来事はたくさんの違った目で記憶され残される必要がある。
そしてそれでもわたしたちは生き続けてゆくのだ。未来を思い描きながら。