今年も8月6日朝、お向かいの教安寺さんの鐘が鳴った。広島への原爆投下時刻8時15分から1分間、この鐘は鳴り続ける。
その後広島市長によって「平和宣言」が読み上げられ、続いて子ども代表の「平和への誓い」がある。だいたいここまでは毎年テレビで観るのが習慣。
ある時、「今は未だ平和ではないし、21世紀が平和の世紀となることも夢で終わった。なのにどうして平和が『宣言』されるのだろう」と思った。そこで広島市のホームページを調べてみた。そこには「平和宣言」の歴史的経緯が記されている。
広島市が世界初の原爆の犠牲になって2年後、「永遠の平和を確立しようという広島市民の願いを全世界の人々に伝え、世界的行事の一つにまで発展させたいと念願して、平和祭が」8月5日から3日間行われ、「6日には現在の平和記念公園の広場で式典が開かれ、この中で初めての平和宣言が浜井信三市長によって読み上げられ」たという。その宣言には「この恐るべき兵器は恒久平和の必然性と真実性を確認せしめる「思想革命」を招来せしめた」とあった。世界中の誰もがこの兵器の恐ろしさを知り、平和を希求せずにはいられなくなった故に、逆説的に原爆の落とされた悲惨な出来事が平和をもたらした、という意図だと思った。流布しているような、「太平洋戦争を早く終わらせた」故にではなく、逆説的にわたしたちが平和へと目ざめた故に、だ(以上、「 」は広島市ホームページより引用)。
しかし残念ながら「思想革命」は全世界の隅々までは行き渡らなかった。いつでもカネが命より上にあった。そして戦争がカネを生む構造は保たれた。だがだからこそわたしたちは今も逆説的に平和を宣言し続ける義務があるのだと思う。呑気だという人は言えばよい。お花畑だと言うならそうかも知れぬ。だがカネのためにこの命を奪われたくはない。誰の命も消費されたくない。
寺の鐘の音を聞きながら、改めて強く思った。