今日は、キリスト教の暦では一年で一番最後の日曜日。終末主日という名前が付いている。そして行事暦として日本基督教団では「収穫感謝日・謝恩日」も併記されている。
おそらく農業の視点から「収穫感謝」ということばは存在するのだと思う。だが、この国では11月の第4週辺りはもはや収穫がほとんど終了している。「終末主日」ということがわからなかった頃にはこの時期の収穫感謝がどうしても馴染めなかったのだが、「終末主日」との関係で考えると、その意味がなんとなくわかるような気がする。一年の最後の主の日に、この一年のすべてを神様に感謝しようという思いが「終末主日」なのではないか。だから収穫物を神さまの前に持参して感謝の祈りを捧げるのだけれど、農作物はそのシンボルなのであって、本来は「わたし」を捧げること、「わたし」の上に注がれてきた神さまの祝福や導きを思い起こして、改めて神さまに従ってゆこうという決意を感謝のうちに確認することが、この主日の意味なのではないかと思えるのだ。そしてその派生が「謝恩日」。
そういえば23日(土)は「勤労感謝の日」だそうだ。内閣府の「祝日の一覧」によると「勤労感謝の日」の意味は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」のだとか。所謂「ハッピーマンデー」として固定的な休日ではなくなっている日もあるのに、どうして勤労感謝の日は…と、同じようなことを考える人はいるらしく、ネットにはその答えとおぼしき説が挙がっている。一言でいってしまえば休日はいつでもよいが祝日は固定日でなければならないということらしい。尤も昭和2年3月4日勅令第25号「休日ニ關スル件」には11月23日が「新嘗祭」と書かれている。皇室では最も意味のある祭日らしい。その最大にして一世一代のものが「大嘗祭」だとテレビでは盛んに宣伝していたなぁ。あんまり関係ないけど…。