国会が閉会した。記者から「前法務大臣とその連れ合いが現職議員として逮捕されたこと」について追求されると、「任命責任を痛感している」と──もう何度同じ言葉を吐いただろうか、この人は──宣う。コロナ禍での閉会について聞かれると「閉会中でも求められれば、政府として説明責任を果たしていきます」と──もう何度同じ言葉を吐いただろうか、この人は──。
「丁寧な対応」とか「責任を痛感」とか「責任を果たす」とか「説明をする」とか、文字に書けば分かるが、全部動詞。動詞とは本来動作・作用・存在を表すものだ。だが、このかたの言葉には動作も作用も──ひょっとしたら存在すらも──無いし感じない。だから緊迫性も共感性も持てない。
例えば「丁寧な説明をする」と言われたら、わかりやすい言葉を使って相手が理解できるように語ってくれることを期待するだろう。だが官邸が語るのは「その指摘はあたらない」とか「全く問題がない」という言葉だけ。これをもって「丁寧」とは言い難い。
「責任」は確かに感じるものだ。だが、責任を感じた者は次に何らかの行動をとる。「余人を持って代えがたい」とか「適材適所」とか言って任命したが、どうやらそうではなかったとしたら、それこそ丁寧な説明をもって次の人を選び直すか、そもそも「自分には人を見る目がないから」と、任命権を手放す──つまり職を辞する──だろう。だがそれももちろんない。
一方でやたらと自慢話はする。補正予算成立で「空前絶後の規模、世界最大の対策」とは言うが、手続きが止まっている持続化給付金、未だ来ない10万円、やっと届き始めたらしいマスク等々の実態に対しては、丁寧に説明もしないし、責任は自治体や官僚に丸投げ。
もはや転がるだけ転がった感じ。だけど選挙権をみすみす手放す者が5〜60%もいては、転がりかたが更に加速するだけだな。どうよ、都知事選?