8月15日を川崎教会の週報「今週の予定」欄では「敗戦の日」と記している。
通常カレンダーなどでは「終戦の日」とか「終戦記念日」と呼ぶ方が多いだろうと思う。だがわたしは西中国教区時代に「敗戦の日・追悼と平和を求める集会」という集会名称に衝撃を受け、またその集会のプロデュースにも関わってきて、8月15日を「終戦」ではなく「敗戦」と位置づけることの意味を感じてきていた。だからそのように記し続けている。
8月15日は、いわゆる「玉音放送」が流された日だ。天皇が「ポツダム宣言を受け入れることに決めた」とラジオを通じて国民に伝えた日。だが、文字通り「受け入れることを決めたと伝えた」のであって、実際に宣言が調印されたのは9月2日。従って国際的には太平洋戦争終結(=終戦)の日は9月2日だ。ところが日本においてはこのラジオ放送があった日が「終戦」の日だとされて、わたしも西中国で意識を変えるまではそのまま思っていた。
東京でラジオ放送が始まったのが1925(大正14)年、全国放送になったのが1928(昭和3)年。柳条湖事件勃発が1931年。時系列を並べてみればラジオ放送が軍部プロパガンダとして利用されてきたことが良くわかる。そしてラジオのプロパガンダ放送のお終いが「玉音放送」だったわけだ。
ある日昭和4年生まれの父に「どうして8月15日に玉音放送があることを知ったのか」と尋ねた。答えは簡単。「予告があったから」と。14日21時のニュースと15日7時21分のニュースの2回行われたらしい。で、「内容わかった?」と聞くと、「わかるわけがない。聞き取りにくかったし。だが周囲の大人が悲嘆している様子から察した」と言った。なるほどな話しである。
最後のプロパガンダは結果的に大成功だったのだろう。みんなが8月15日を「終戦」としているのだ。でも本当は中味をこそ伝えたかったに違いない。そこに記されているのは敵国の酷さ。だから「耐え難きを…」なのだと。