No.726 不透明な「透明性」

武藤敏郎
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長

 「透明性」という言葉を辞書でひけばだいたいこんな答えが返ってくる。「制度の運営や組織の活動状況が、第三者にはっきりとわかるようになっていること。また、その度合い。」。
 今回東京五輪組織委員会会長の選出にあたり繰り広げられたドタバタ劇は橋本聖子五輪担当大臣が大臣職を棄てて(後には自民党を離党して)就任を受諾したことで決着したようだ。しかしその選出を巡って「会長の選任は国民にとって透明性のあるプロセスでなければならない」との組織委員会の姿勢の下「候補者検討委員会」が設置されたのに、誰がメンバーなのか、どういう議論が行われたのかなどあらゆる事は結局非公開で進められた。繰り返しになるが「透明性」とは「制度の運営や組織の活動状況が、第三者にはっきりとわかるようになっていること」であるにも関わらず、だ。
 森会長辞任とその後任が川淵氏になったと報じられた瞬間、多くの人が危機感を共有したようだ。森さんはそもそも総理大臣になるとき既に密室談合だったのだが、おそらくあの方の頭の中では、密室談合で決着することこそ最善の政治的解決方法だと信じて疑っていないのではないかと思われる。残念なのは、ただでさえコロナでオリンピックに向けた高揚ムードが消沈している現状に消防ホースで水をぶちまけるようなものだということが分からないほど、良く言えば混乱しておられたのだろう(「悪く言う」本音を綴ったらここがハラスメントな言葉のオンパレードになりそう)。その瞬間から密室談合を非難する声が驚くほど高まり川淵さんは辞退表明する。SNSが「国民の声」という力を発揮したことでもあった。
 このところたてつづけにSNSの力が発揮されるようになった気がする。誰でも意思を表明できるのは極めて良いことだ。その「意思表明」を今度は選挙でも発揮しなければ、本当に世の中を変えることにはならないのだけどね。

2月28日の礼拝

復活前第5主日 主題「悪と戦うキリスト」
第一礼拝 9:30~9:50
 聖書 マタイによる福音書 12章22-32節
 おはなし なんでもゆるされているけど
 担当 滝澤貢牧師
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 イザヤ書 35:1-10
  使徒書 ヨハネの手紙Ⅰ 3章1-10節
  福音書 マタイによる福音書 12章22-32節
  交読詩編 130編1-8節
 賛美歌 賛美歌21から 16番 356番 ほか
 説教者 小林充牧師
 説教題 神の国はあなたたちのところに来ているのだ
 礼拝後の予定 特になし
教会役員会策定の【二度目の緊急事態宣言対処方針】に沿って短縮礼拝をおこなっています

2月定例役員会・主な審議事項

(1)コロナ対策
 宣言の延長に伴い対処方針も延長する
 ホスチアとポーションによる聖餐式も慣れれば問
(2)クリスマス献金について報告を確定した
(3)招聘に関する件
 平井牧師18日19日川崎滞在、引き継ぎをする
 牧師館改修見積通り発注(約80万)する
 平井牧師は3月23日に引っ越してくる予定
(4)2021年度教会総会日程 4月25日
(5)イースター礼拝は合同で行う
 その他の詳細はCS教師会に委ねる
(6)教区総会は未だ案内が届いていないが例年であれば2月最終土曜日に開催される
(7)川崎キリスト教学園について
 武田評議員辞任、滝澤評議員は資格喪失
 武田評議員の選出枠で滝澤貢を推薦する
(8)その他消息等略

No.725 人生にはあそびが必要(自己弁護ぢゃないよぅ)

 このところなかなか寄席に行けない。外出する機会もめっぽう減ってしまったのが原因だが、何せどうひいき目に見ても「寄席に出かける」事が「不要不急」以外の何ものでもないわけだし。
 独演会は芸人の真髄をたっぷり見て聞いて、その人となりを味わう貴重な場所であり時間だ。それももちろん楽しみなことではある。だけど一方でいろんな芸風を持ったいろんな芸人が様々な芸を短い時間で披露する寄席という場所もなかなか面白いものだ。
 だいたい芸人は「わたしの話は社会にとってちっとも有意義ではない」と平気で言う。「不要不急」そのものだと言っているようなものだ。だけどそういうものこそ実は意味があるのではなかろうか。
 40年近く前、免許を取得するために自動車学校に通った。車の簡単な構造なども学ぶ。その時車のハンドルやブレーキには「あそび」と呼ばれる、余裕というかゆとりというか隙間というか(他の表現が見当たらない)があって、しかも絶対必要だと習った。下手をすればいのちに関わる自動車の運転にとって、構造上あそびがどうしても欠かせないというのはなんだかとっても哲学的な示唆があるではないか。
 目に見えないウィルスに怯え続けた1年。もちろんただただ怯えていた頃からすればずいぶんとその正体も判るようになった。それでも自由が利かない状態は全く変わらない。「あそび」が重要だという説はかなり説得力ある。
 一見「無駄」のように思えるもの、「無意味」に思えるもの、あるいは「邪魔」なように見えるもの。世の中にはたくさんあるし、わたし自身の中にもたっぷりある。14年ぶりの引越に向け、やったことのない片付けなんぞをしてみると、それはそれはほとんど棄てて構わないようなものだらけ。一体何をそんな後生大事に保持していたのか、我ながら呆れているのだけれど…。

2月21日の礼拝

第一礼拝 9:30~9:50
 聖書 マタイによる福音書 4章1-11節
 おはなし 勝つための方法
 担当 滝澤貢牧師
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 申命記 30章15-20節
  使徒書 ヤコブの手紙 1章12-18節
  福音書 マタイによる福音書 4章1-11節
  交読詩編 91編1-16節
 賛美歌 賛美歌21から 443番 454番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 説教題 誘惑と確信と
 礼拝後の予定 ぶどうの会
教会役員会策定の【二度目の緊急事態宣言対処方針】に沿って短縮礼拝をおこなっています

2月14日の礼拝

降誕節第7主日 主題「奇跡を行うキリスト」
第一礼拝 9:30~9:50
 聖書 ヨハネの黙示録 21章1−4節
 おはなし イエスよ、きてください
 担当 滝澤貢牧師
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 イザヤ書 30章8−17節
  使徒書 使徒言行録 12章1−17節
  福音書 マタイによる福音書 14章22−36節
  交読詩編 107編10-22節
 賛美歌 賛美歌21から 49番 446番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 説教題 困難に囲まれてなお
 礼拝後の予定 CS教師会
教会役員会策定の【二度目の緊急事態宣言対処方針】に沿って短縮礼拝をおこなっています

No.724 ビワの花が、ついに

ビワの花が…
こんな実になる日も近い

 教会建物の西側に小さな花壇スペースがある。ここは不思議な花壇で、どういうわけか時々土が崩れ去る(まさか首都高やJRがトンネルを掘っているわけではあるまい)。教会員の辻さんが園児たちのために胡頽子の鉢植えをくださった時も土の崩落が頻繁だったので、鉢のまま植え込んでいる。それでも胡頽子は元気に花を咲かせ、実をみのらせる。
 7〜8年ほど前に、ビワの苗木をいただいて植えておいた。もう背丈は優に2階の手すりを超えているのだが、一向に花を咲かせない。外階段から手を伸ばしてビワをもいで食べるのを夢見てきたのだが、毎年葉芽しかつかなかったのだ。というのも防府教会で働いていた頃、そこには幼児施設があって(わたしたちが着任した1999年3月で閉園)、庭に築山と飛行機型の遊具があった。閉園後園庭を整理して築山を壊し、遊具の飛行機がついに空を飛んでビワの木の脇に動いた。我が家の子どもたちや近所の友だちがたくさん遊びに来ては飛行機の翼に登ってビワをもいだ。食べ放題。我が家の夕食後のデザートも庭に出てビワというのが風物詩でもあった。このビワは幼児施設の職員が食べて出たタネを植えた(棄てた?)もの。とても美味だった。
 2021年の今年、ついに川崎教会のビワの木にたくさん花が咲いた。梅雨が開けて初夏を迎える頃には美味しい実をみのらせるのではないかと期待がわく。尤もその頃わたしたちはもう川崎にはいないのだけれど。
 この場所、夏にはゴーヤーを植えている。土と相性が良いのかとても良くみのる。また、大葉(青しそ)も時々移植するが、秋の終わり頃まで勢い良く葉を茂らせる。これも相性が良いのに違いない。
 たぶん、人も土との相性が大切なのだろう。もちろん人は知恵ある生きものだから、相性を知恵で獲得も出来るに違いない。そうやって許される限りそこに根を張る。そんな生き方をこれからもしたいものだと思った。