聖霊降臨節第13主日 主題「神からの真理」 |
平和月間 |
第一礼拝 夏休み中 |
聖書 |
おはなし |
担当 |
第二礼拝 10:30~11:45 |
聖書 |
預言書 出エジプト記 4章4-9節 |
使徒書 ローマの信徒への手紙 7章1-6節 |
福音書 ヨハネによる福音書 8章3-11節 |
賛美歌 賛美歌21から 499番 433番 ほか |
説教者 滝澤貢牧師 |
礼拝後の予定 CS教師打合せ |
※コロナ対策のため短縮礼拝です |
No.700 700回
日々よく通る街並みに「閉店」の看板を見かける。立地の良さそうな場所だったり、地下モールだったりするのに、やはり感染症の影響かななどと思ってしまう。経済を研究熟知しているわけではないので単なる印象だけだが。
「閉店」の看板を見て最初に心に浮かぶのは「あらぁ〜」という感情。それには「ちょっと残念だね」という思いが含まれる。そのくせ、閉店した店の常連ではない、どころか良くて1〜2度訪れた程度。中にはもちろん一度も入ったことのない店も多い。その店の売上げにたった一度も貢献したことはないくせに「閉店」の看板に「あらぁ〜」と感じてしまうのはなぜだろう。
そこに存在したものが無くなってしまうことへの一種の無常感が生まれるのかもしれない。存在しているものは存在し続けるものだと無意識に感じていて、それがある時急に無くなることでイレギュラーへの過剰反応をしてしまう、みたいな。
そうは言いながら、例えばよく通る街並みのくせに「閉店・取り壊し」された途端に、そこに何があったのか思い出せないことも良くある。無常観どころではない。むしろ「無情」と言うべきか。
忘れられてしまうことへの、なんとも表現しがたい恐ろしさをわたしも持っているのかも知れない。だから「無常観」が生じるのであって、それをこともあろうに自分が忘れてしまうことへの罪悪感のごとき「無情意識」を感じてしまうのだろうか。
だからかも知れないが、忘れないためにではなく忘れてしまうから記録しておく、綴っておくという作業が少なくともわたしには必要だ。なんでもメモする人もいるがわたしはそれはしないし出来ない。だが忘れてしまうから今記録する、綴ることは出来るし、やろうと思う。
700回はその連続だ。
No.699 玉音放送
8月15日を川崎教会の週報「今週の予定」欄では「敗戦の日」と記している。
通常カレンダーなどでは「終戦の日」とか「終戦記念日」と呼ぶ方が多いだろうと思う。だがわたしは西中国教区時代に「敗戦の日・追悼と平和を求める集会」という集会名称に衝撃を受け、またその集会のプロデュースにも関わってきて、8月15日を「終戦」ではなく「敗戦」と位置づけることの意味を感じてきていた。だからそのように記し続けている。
8月15日は、いわゆる「玉音放送」が流された日だ。天皇が「ポツダム宣言を受け入れることに決めた」とラジオを通じて国民に伝えた日。だが、文字通り「受け入れることを決めたと伝えた」のであって、実際に宣言が調印されたのは9月2日。従って国際的には太平洋戦争終結(=終戦)の日は9月2日だ。ところが日本においてはこのラジオ放送があった日が「終戦」の日だとされて、わたしも西中国で意識を変えるまではそのまま思っていた。
東京でラジオ放送が始まったのが1925(大正14)年、全国放送になったのが1928(昭和3)年。柳条湖事件勃発が1931年。時系列を並べてみればラジオ放送が軍部プロパガンダとして利用されてきたことが良くわかる。そしてラジオのプロパガンダ放送のお終いが「玉音放送」だったわけだ。
ある日昭和4年生まれの父に「どうして8月15日に玉音放送があることを知ったのか」と尋ねた。答えは簡単。「予告があったから」と。14日21時のニュースと15日7時21分のニュースの2回行われたらしい。で、「内容わかった?」と聞くと、「わかるわけがない。聞き取りにくかったし。だが周囲の大人が悲嘆している様子から察した」と言った。なるほどな話しである。
最後のプロパガンダは結果的に大成功だったのだろう。みんなが8月15日を「終戦」としているのだ。でも本当は中味をこそ伝えたかったに違いない。そこに記されているのは敵国の酷さ。だから「耐え難きを…」なのだと。
8月23日の礼拝
聖霊降臨節第13主日 主題「神からの真理」 |
平和月間 |
第一礼拝 夏休み中 |
聖書 |
おはなし |
担当 |
第二礼拝 10:30~11:45 |
聖書 |
預言書 ヨブ記 28章12-28節 |
使徒書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 2章11-3章9節 |
福音書 ヨハネによる福音書 7章40-52節 |
賛美歌 賛美歌21から 57番 61番 ほか |
説教者 小林充牧師 |
説教題 メシアはガリラヤから出るだろうか |
礼拝後の予定 なし |
※コロナ対策のため短縮礼拝です |
No.698 鐘の鳴り響く朝
今年も8月6日朝、お向かいの教安寺さんの鐘が鳴った。広島への原爆投下時刻8時15分から1分間、この鐘は鳴り続ける。
その後広島市長によって「平和宣言」が読み上げられ、続いて子ども代表の「平和への誓い」がある。だいたいここまでは毎年テレビで観るのが習慣。
ある時、「今は未だ平和ではないし、21世紀が平和の世紀となることも夢で終わった。なのにどうして平和が『宣言』されるのだろう」と思った。そこで広島市のホームページを調べてみた。そこには「平和宣言」の歴史的経緯が記されている。
広島市が世界初の原爆の犠牲になって2年後、「永遠の平和を確立しようという広島市民の願いを全世界の人々に伝え、世界的行事の一つにまで発展させたいと念願して、平和祭が」8月5日から3日間行われ、「6日には現在の平和記念公園の広場で式典が開かれ、この中で初めての平和宣言が浜井信三市長によって読み上げられ」たという。その宣言には「この恐るべき兵器は恒久平和の必然性と真実性を確認せしめる「思想革命」を招来せしめた」とあった。世界中の誰もがこの兵器の恐ろしさを知り、平和を希求せずにはいられなくなった故に、逆説的に原爆の落とされた悲惨な出来事が平和をもたらした、という意図だと思った。流布しているような、「太平洋戦争を早く終わらせた」故にではなく、逆説的にわたしたちが平和へと目ざめた故に、だ(以上、「 」は広島市ホームページより引用)。
しかし残念ながら「思想革命」は全世界の隅々までは行き渡らなかった。いつでもカネが命より上にあった。そして戦争がカネを生む構造は保たれた。だがだからこそわたしたちは今も逆説的に平和を宣言し続ける義務があるのだと思う。呑気だという人は言えばよい。お花畑だと言うならそうかも知れぬ。だがカネのためにこの命を奪われたくはない。誰の命も消費されたくない。
寺の鐘の音を聞きながら、改めて強く思った。
8月16日の礼拝
聖霊降臨節第12主日 主題「信仰による勝利」 |
平和月間 |
第一礼拝 夏休み中 |
聖書 |
おはなし |
担当 |
第二礼拝 10:30~11:45 |
聖書 |
預言書 士師記 6章36-40節 |
使徒書 ヨハネの手紙Ⅰ 5章1-5節 |
福音書 ヨハネによる福音書 7章1-17節 |
賛美歌 賛美歌21から 499番 485番 ほか |
説教者 滝澤貢牧師 |
礼拝後の予定 なし |
※コロナ対策のため短縮礼拝です |
【8月定例役員会・主な審議事項】
1)コロナ対策8-9月の教会について |
礼拝参加時は検温を済ませ、受付でも検温する |
短縮礼拝とし、何も持たないで礼拝する |
出席者全員の住所等連絡先を把握する |
2)平和聖日礼拝の評価・反省について |
特記事項なし |
3)平和月間集会について |
こころの時代「人から人へ」を鑑賞する |
4)その他消息等略 |