No.663 喜びも悲しみも

 「もちろん、凡そ人間が動かされる動機というものは、自分自身でも単純に割わりきれるものではない。われわれは「召命」ということばで片付けるきらいがあるが、このことばの中には(中略)その人固有の生活史の中で、無数の出会い、無数の喜びや悩みの体験を通して形を成してゆく一つの御意(みこころ)への認識と人間的な意志や感情が折り重なっている。(中略)その中には、多くの極めて人間的な苦悩や喜び、涙や怒りの結実が含まれていることを忘れてはならない。」。東京基督教大学で図書館司書をしている学友がFacebookを通じて教えてくれたのが「医学と福音」1986年8月号(38巻7号)にある中村哲さんの一文「召命と出会い、そしてペシャワールから」。その抜粋をしてみた。
 アドヴェントはキリスト降誕の事実を噛みしめつつ備えて待つ期節なのだろう。例えば未婚の若い女性が突然妊娠を告げられ、それが神の御心だと天使が迫る時、彼女が「お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカ1:38)と言う時、あるいはいいなずけのヨセフにその事実が告げられ煩悶するさなかに天使が御心を告げると「主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ」(マタイ1:24)たその決断が、わたしたちが気軽(?)に使う「召命」という言葉で片付けられるだろうか。そんなことはない。幾重にも折り重なった人間の心の営みと、それに対する神の迫りとの狭間で、結実していった事柄なのだ。そう考えたら単に「うれしい/たのしい/クリスマス」にはならない。にもかかわらず、いやそれゆえに、この世に救い主がお生まれになる意味の深さ/重さからこそ、アメージングな喜びに静かに満たされるのだろう。
 金曜日夕方には農村伝道神学校で「ブルークリスマス礼拝──心の痛みを抱えた人のためのクリスマス──」が行われた。本当に様々な人が、今、この時を一緒に生きている。喜びも悲しみも、み翼のかげにと祈る。

12月8日の礼拝

降誕前第3主日 主題「旧約における神の言」
アドヴェント第二主日

第一礼拝 9:00~9:30
 聖書 新約マタイによる福音書1章1-17節
 おはなし 「りっぱな人ばかりじゃない」
 担当 梅﨑芙美子
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 列王記上22章6-17節
  使徒書 ペトロの手紙Ⅱ 1章19-2章3節
  福音書 ヨハネによる福音書5章36-47節
  交読詩編 147編12−20節
 賛美歌 賛美歌21から 232番 243番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定
  国際ギデオン協会メッセージ・CS教師会

No.662 平和の器

 「勇気が必要なのは、意見をまくしたてて攻撃的になることなく、別の道を見つけるためです。」。バチカン史上初のイエズス会出身、初のラテン・アメリカ出身の教皇フランシスコの来日は大きなニュースだった。滞在中毎日ほぼトップで動向が伝えられた。わたしも「『幸福』と『人生の意味』について」というタイトルの教皇の本を読んでみた。その中の一節が冒頭の言葉。
 25日に東京ドームで5万人がミサに与ったという。その前後いろんな人から「先生は行かないのか?」と尋ねられた。むしろ川崎でいつもとおんなじように仕事している方が不思議だったり奇異に見えたのだろう。「ま、オトナの事情があってね」とはぐらかした。
 尤もフランシスコ教皇は「オトナの事情」による平和への妨げを最も警戒しろと言うに違いない。長崎で教皇は「聖フランチェスコの祈り」を引用したという。私たちの第一礼拝でも毎週祈られている。それは「わたしを平和の器とならせてください」という言葉で始まる。大所・高所からの「平和」ではなく、わたしが用いられるわたしの周囲からの平和がいつか世界を変える。だから、わたしを器にという祈り。
 結局わたしたちは「オトナの事情」という極めて便利な言葉で自分自身をいつも正当化出来る。あるいは逆に、そんな「オトナの事情」を打ちやぶるためにはもっと力が必要だと思ってしまう。それに見比べれば自分の持つたった1票の投票権なんて小さすぎて無意味だと絶望さえしてしまう。
 だが教皇は「勇気が必要なのは闘うためであり、必ずしも勝つためではありません。」(前掲書)と言う。攻撃的な力を持つ必要はない。打ち負かす必要もない。別の道を見つけるために、今いるところから立ち上がる勇気があれば良いのだ、と。
 使い古された「グローカル」。再びいのちを吹き込まれたようだった。

クリスマスのご挨拶

12月22日 クリスマス合同の礼拝
降誕前第1主日 主題「告知」
アドヴェント第四主日

合同礼拝 10:30~11:45
 聖書
  福音書 マタイによる福音書2章1-12節
 賛美歌 賛美歌21から 269番 262番 ほか
 説教題 「東の国から」
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定
  合同クリスマス祝会(会費ひとり500円)
  ※一品持ち寄りが出来る方はご協力ください
  ※教会からホットドッグ、CSからフルーツポンチが出ます
  ※食べたあとはお楽しみのプログラム満載
  ※14時までには解散予定です

12月1日の礼拝

降誕前第4主日 主題「主の来臨の希望」
アドヴェント第一主日

第一礼拝 9:00~9:30
 聖書 旧約イザヤ書9章1-6節
 おはなし 「ひかりをみた」
 担当 滝澤理子
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 イザヤ書52章1-10節
  使徒書 ローマの信徒への手紙11章13-24節
  福音書 ヨハネによる福音書7章25-31節
  交読詩編 47編2−10節
 賛美歌 賛美歌21から 231番 440番 ほか
 聖餐式 谷戸久美子・松岡信子
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 12月定例役員会

No.661 土曜日の休日ってどうよ

 今日は、キリスト教の暦では一年で一番最後の日曜日。終末主日という名前が付いている。そして行事暦として日本基督教団では「収穫感謝日・謝恩日」も併記されている。
 おそらく農業の視点から「収穫感謝」ということばは存在するのだと思う。だが、この国では11月の第4週辺りはもはや収穫がほとんど終了している。「終末主日」ということがわからなかった頃にはこの時期の収穫感謝がどうしても馴染めなかったのだが、「終末主日」との関係で考えると、その意味がなんとなくわかるような気がする。一年の最後の主の日に、この一年のすべてを神様に感謝しようという思いが「終末主日」なのではないか。だから収穫物を神さまの前に持参して感謝の祈りを捧げるのだけれど、農作物はそのシンボルなのであって、本来は「わたし」を捧げること、「わたし」の上に注がれてきた神さまの祝福や導きを思い起こして、改めて神さまに従ってゆこうという決意を感謝のうちに確認することが、この主日の意味なのではないかと思えるのだ。そしてその派生が「謝恩日」。
 そういえば23日(土)は「勤労感謝の日」だそうだ。内閣府の「祝日の一覧」によると「勤労感謝の日」の意味は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」のだとか。所謂「ハッピーマンデー」として固定的な休日ではなくなっている日もあるのに、どうして勤労感謝の日は…と、同じようなことを考える人はいるらしく、ネットにはその答えとおぼしき説が挙がっている。一言でいってしまえば休日はいつでもよいが祝日は固定日でなければならないということらしい。尤も昭和2年3月4日勅令第25号「休日ニ關スル件」には11月23日が「新嘗祭」と書かれている。皇室では最も意味のある祭日らしい。その最大にして一世一代のものが「大嘗祭」だとテレビでは盛んに宣伝していたなぁ。あんまり関係ないけど…。

【11月定例役員会・主な審議事項】

(1)永眠者記念礼拝の評価・反省
 机が大きくなったので少しスペースが出来た
 昼食の注文数は22個
(2)幼児祝福合同礼拝の評価・反省
 今回は人数が多かったことと幼稚園の部屋が行事のため塞がっていたこともあってお茶会話にしたが、今後もなしで行う
 教会会計からプレゼント(ハンカチ・チョコ)、CS会計から全員へのお菓子、記念写真代などを支出した
 今後は礼拝後のお茶会を少し豪華にする
(3)クリスマス関係
 12月22日に合同礼拝、その後祝会とする
 祝会一人500円会費で持ち寄りとする
 教会からホットドッグ、CSからフルーツポンチ
 その他詳細は12月に決定
(4)教会のインターネット環境整備について
 教会としてサーバー契約し独自のメールアドレスとホームページを持つ
 レンタル料は月額900円程度
(5)教会の冷蔵庫が故障したので早急に更新する
(6)その他消息等略

No.660 ホスピタリティが問われる

 教会のホームページを新規でつくろうかと思い、準備を進めている。
 川崎教会に赴任した時に役員会は「教会ホームページ作成について」という議題を継続審議としてきていたが、コンテンツをどうするかでほぼ頓挫していた。そこで、前任地でやって来たことを踏襲し「多摩川べりから」をブログで──かなり牧師の個人的な趣味で──公表し、そこに教会からのお知らせなども掲載することで、教会の公認ページ風な体裁を保ってきた。
 もちろんその継続に何か問題があるわけではないが、やはり教会として正式にドメインを取得し、メールアドレスを設定するのが良いのではないかと思ったのだ。コンテンツは基本的には毎週更新されるこの「多摩川べりから」と「次週の礼拝予告」を柱として、折々の教会からのお知らせ(クリスマス合同礼拝や祝会のお知らせとか、オータムフェスタBBQのお知らせとか)を掲載すればかなりの更新頻度になる。場合によっては音声や画像を載せることだって可能なので、遠方にいても(世界中どこにいても!)教会のたった今の様子を配信することも可能だ。赴任当時暗礁に乗り上げたことを完全に・簡単に実現出来るように時代が進んだ。
 実は幼稚園は15年ほど前にホームページを開設し、今では園児募集や職員募集に力を発揮している。だが開設当初レンタルしたのが安い外国のサーバーだったので、更新に関わる作業が全く進まず、「syowa.org」を手放さざるを得なかった。今年の前半は新規取得・新規構築に膨大な時間がかかった。その経験があるので、教会は国内サーバーで契約したいとも思う。
 だけど、一番大事なことは、世界に門戸を拡げる以上、これまで教会なんか知らなかった・関係なかったという膨大な方々に、教会の門をくぐるハードルを下げることなのだと思う。つまり、リアルなわたしたちのホスピタリティが問われるのだ、と。そっちが難問だったりして (^^ゞ

11月24日の礼拝

降誕前第5主日 主題「王の職務」
終末主日・収穫感謝日・謝恩日
第一礼拝 9:00~9:30
 聖書 使徒言行録15:6-11
 おはなし 「最後の壁は仲間たちだった」
 担当 佐竹郁子
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 エレミヤ書23章1-6節
  使徒書 ヨハネの黙示録1章4−8節
  福音書 ヨハネによる福音書18章33−40節
  交読詩編 17編1−12節
 賛美歌 賛美歌21から 399番 579番 ほか
 説教題 「神の国はどこに?」
 説教者 小林充牧師
 礼拝後の予定
  クリスマス荷物下ろし・祈りの会