幼稚園の卒園式は、在園生が参列しない形で無事に行われた。とはいえ、いつもなら保育証書をもらう練習を少なくとも1回は行うのだが、今回はぶつけ本番の子どももいる。自分たちの言葉を使った「思い出のアルバム」の替え歌もこれまで1回しか歌っていない。そういう中での式だった。
そうであれば、綺麗に見栄え良い卒園式ではなかっただろうとの想像はだれでも思いつくだろう。事実様々なハプニングはあったが、でもそれがなんだか良かった。ある程度の緊張感を自分を律するために保つのには意味がある。だがむしろ細かいことが整然と行われるより、自分で考え乗り切る、そして楽しむことができれば、それは最高の舞台に違いない。何より子どもたちは「卒園式」の緊張より、久しぶりに会った友だちと、久しぶりの幼稚園で、最後に思いっきり楽しみたかったし、実際みんなそうしていた。親子で一緒に登園し、「式」と名の付く時間を楽しみ、心にけりがつくまでお庭でみんなと遊ぶ、そこまでの一連の事柄全部が彼らの「卒園式」だったのだと思った。
この開放感、自由な心地よさを覚えていて欲しい。自由が制限される日が必ず来る。いや、もう既に来ている。その時オトナたちは自分の心を偽り何かと理由をつけて無理矢理納得し、時には立ち塞がる壁になっちゃうだろう。でも子どもたちにはそんな屁理屈は無縁だ。自由な心地よさ、心の底から信頼しあえる仲間と時間、それが適う地面さえあれば、彼らは必要なことを自分で決断し歩んでゆくだろう。その力はどんな壁でも突破するに違いない。
わたしたち皆がしみじみと「良かったね」を共有しているまさにその時、「緊急事態宣言」さえも発令できるような「新型インフルエンザ対策特別措置法」改正が行われた。十分な科学的データも統計的な積み上げもない中、市民活動が制限されて当たり前のような雰囲気が既に出来上がっている上に、だ。
子どもなら言うね。「さてどうやって突破しよう。なんだかわくわくする。」
3月15日の礼拝
| 復活前第4主日 主題「受難の予告」 |
| 第一礼拝 9:00~9:30 |
| 聖書 マタイによる福音書27章11-26節 |
| おはなし 動き出したら止まらない |
| 担当 滝澤 貢 |
| 第二礼拝 10:30~11:45 |
| 聖書 |
| 旧約聖書 ヨシュア記24章14-24節 |
| 使徒書 |
| 福音書 ヨハネによる福音書6章60-71節 |
| 交読詩編 90編1-12節 |
| 賛美歌 賛美歌21から 298番 442番 ほか |
| 説教者 北口沙弥香牧師(藤沢ベテル教会) |
| 説教題 「命のパン」 |
| 礼拝後の予定 ぶどうの会打合せ |
No.676 寒々しい世相に、温かい印象が
川崎市内の市立学校は安倍総理のお願いをすぐには聞き入れず、3月4日から25日まで臨時休校、その後26日から4月5日まで春休みとなった。
所用で夕方街の中を歩いていると、買い物帰りらしい母と子が家路を急ぐ姿が、これまで以上にたくさん見られるようになった。しかもなんだか足取りが軽く見える。単なる直感──カウンターで数えているわけではないもの──なので本当のところどうか分からないのだけどね。そんな印象を受ける。
ひょっとしたら子どもが休校になったので、お母さんが仕事を少し早く切り上げて、子どもと一緒に夕食の買い物に出かけているのだろうか、などと想像した。そして、想像に過ぎないのになんだか心が温かくなった。もちろん買い物をして帰るのが、父と子どもであってもなにも問題はない。やはり心が温かくなる。夜道を子どもだけが塾の鞄を背負って急いで歩いているよりよほど幸せな空気に満ちている。
そうして思ったのだ。本当は夕方まだ暗くなる前に親と子が一緒に夕食の買い物をして帰る、それでも十分暮らして行ける社会じゃなきゃ、ダメなんじゃないか、と。
新型感染症のことが毎日毎日繰り返して取り上げられ、私たちの暮らす社会が、なんだかウイルスでコテンパンにやられてしまっている印象を受ける。これまで「日本人の美徳」(という価値観もどうかと思うが)とされてきた事柄が、ことごとくウイルスにやられてしまっていないか。
一体どれ程多くの隠れ感染者がいるか分からないが、でも、こうなったらしかたがない。この事態を冷静に受け止め、むしろ踏み台にして、本来あるべき社会や暮らしについて、ちょっとだけ落ち着いて考え直してみたい。そうしたら案外希望は見えてくるのじゃなかろうか。
こんな事態だからこそ「有事だ」「非常事態宣言だ」ばかりじゃなくてさぁ。
【3月定例役員会・主な審議事項】
| (1)イースターについて |
| 手作りの「たまごサンド」で愛餐会を予定する |
| 但し感染症の状況によっては今決められないことも多いので継続審議とする |
| (2)教会総会について |
| 往復ハガキで委任状を取り出席人数を確定する |
| 昼食はおにぎり弁当 |
| 書記は役員会書記が兼ねる |
| (3)教会会計について |
| 現状では年度末に40~50万円の赤字を予想 |
| 教会総会では現状のままを報告する |
| (4)教区総会報告を行った |
| (5)その他消息等略 |
3月8日の礼拝
| 復活前第5主日 主題「メシアへの信仰」 |
| 第一礼拝 9:00~9:30 |
| 聖書 マタイによる福音書26章36-46節 |
| おはなし みこころ |
| 担当 梅﨑芙美子 |
| 第二礼拝 10:30~11:45 |
| 聖書 |
| 旧約聖書 列王記下6章8-17節 |
| 使徒書 エフェソの信徒への手紙5章6-14節 |
| 福音書 ヨハネによる福音書9章13-41節 |
| 交読詩編 18編26-35節 |
| 賛美歌 賛美歌21から 302番 502番 ほか |
| 説教者 滝澤貢牧師 |
| 礼拝後の予定 CS教師会 |
No.675 終わっちまった2019年度
幼稚園は政府の要請に素直に(笑)従って、2月28日(金)をもって2019年度を終えた。あとは13日の規模を縮小した卒園式と16日の終業式のみ。
もともと卒園を控える3月は登園日が少ないし、見た目立派な卒園式より日々の幼稚園を最後までたっぷり楽しませたいという思いから、あまりたくさんのことを予定しない。それが幸いして28日に最後の大きなイヴェントである「お別れ会」を行い、卒園生と在園生が──本来なら卒園式で行うはずの──コール&レスポンスを交わし、楽しく会食(!)して終わった。あとは大人たちが当日に向けて準備を進めれば良いわけだ。
そんな中、我が家は連休中に客を迎えたこともあって、冷蔵庫がほぼ空になった。通常勤務よりはゆるくなったといえども、時間が束縛されるわけで、食材はある程度買い込んでおくものだ。だけどこういう時期に大量の買い物をするのはちょっと気が引ける。運悪くそういう時期には必需品であるトイレットペーパーも切れそうになる。スーパーの棚が紙製品の場所だけ空になっているのに、だ。首から「買いだめ/買い占めではありません」という札でも下げようかしら。
ミラノのヴォルタ高校校長先生の手紙がネットで紹介されていた。秀逸なそのお手紙の一部を紹介したい。「(前略)この機会を利用して散歩をしたり、良質な本を読んでください。体調に不備がなければ家にこもっている理由はありませんが、スーパーや薬局に殺到しマスクを探しに行く理由もありません。マスクは病気の人に必要なものです。(後略)」。
先週も書いたが「漠然とした不安」は本当に人々の心を疲弊させる。不安は必ず不安を呼ぶ。恰もそこら中に「菌」がうじゃうじゃいるように思え、自分の周辺が「私以外全部ばい菌」にさえ見えるようになる。アホくさ。
ナイショだけど、遊びたくなったら教会学校においで!遊べるよ!

出典:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E5%8C%BB%E5%B8%AB.
No.674 無為でいることは許されないのだな
幼稚園は1年のまとめと卒園に向けたスケジュールの中で、今年度の残り10日あまりを過ごしている。
21日には産業振興会館を借りて「小さな音楽会」を催した。各学年で打楽器の合奏と歌と2曲を発表する。「発表」と言ってもいわゆる練習を重ねて出来映えを際立たせるようなモノではない。音を楽しむ、ステージで自分を見てもらうことが嬉しい、それを実現するためのモノ。当然ハプニングもあり笑いもあり。子どもたちがみんないい表情をしている。
当日の欠席連絡も含めて都合8人がお休みだった。子どもの施設には良くあることだが、2月半ばからいわゆる「おなかのかぜ」の流行りが見られるようになり、その影響も残っていた。「新型コロナウィルス」騒動とは無関係。神奈川県は言ってみればその渦中にある(お隣には船が泊まったままだしねぇ)訳だが、今回開催を危ぶむ声は上がってきていない。
国を挙げて様々なイヴェントが相次いで中止・縮小されている。それが健全な判断なのかどうか私には分からない。人は「漠然とした不安」に弱い。「空気」を「読む」文化(?)の国なのだ。「漠然とした不安」を読んだら「不安」なのだろう。尤も今のご時世なら「空気」を「吸う」ことも危険かもね。
「発熱などの風邪の症状が出たら学校や会社を休んでください」と厚労省の「新型コロナウイルスに関するQ&A」にあるが、週末たまたま出掛けた品川駅はいつもと変わらぬ帰宅ラッシュ。幼稚園なんて子どもに「お休み」を勧告することは簡単だが教師に勧告することは、その一人の欠けをいつまで・どうやって補うかの見通しが立たなければ簡単ではない。だからこの「Q&A」もそのレベルだなぁと苦笑いするしかない。
いのちには限りがある故に、それはできるだけ無為でありたい。今回のことも単なる騒動ではなく、すべてのいのちを考えるきっかけであればと思う。
3月1日の礼拝
| 復活前第6主日 主題「荒れ野の誘惑」 |
| 第一礼拝 9:00~9:30 |
| 聖書 マタイによる福音書26章26-30節 |
| おはなし パンとぶどう酒 |
| 担当 西村未来 |
| 第二礼拝 10:30~11:45 |
| 聖書 |
| 旧約聖書 出エジプト記17章3-7節 |
| 使徒書 ヘブライ人への手紙4章12-16節 |
| 福音書 マタイによる福音書4章1-11節 |
| 交読詩編 91編1-13節 |
| 聖餐式執行 配餐 石浦悦子・松岡信子 |
| 賛美歌 賛美歌21から 302番 522番 ほか |
| 説教者 滝澤貢牧師 |
| 礼拝後の予定 3月定例役員会 |
神奈川教区性差別問題特別委員会主催集会のお知らせ
第46回「女性と男性の共生をめざす集い」が、川崎教会を会場に開かれます。
主題:軍隊「慰安婦」制度と天皇制──女性国際戦犯法廷から20年を迎えて──
講師:渡辺美奈さん(女たちの戦争と平和資料館館長)
日時:2020年2月24日(月・休)13:30〜16:00
参加費:500円
問い合わせ先:神奈川教区性差別問題特別委員会
☎090−1953−9414

No.673 恩師と呼ぶべき一人を送る
こんなにも早くあなたが逝ってしまうのは、やはり寂しい。もちろんここ数年、あなたの体は切り刻まれ、杖をつき、足を引き摺り、動くこと自体辛そうに見えていたから、永遠の休息は神さまのご褒美に違いない。けど、残された者はやはり寂しいなぁ。
そんな体でありながら、でも私は不思議と、あなたの機嫌の悪いお顔を見たことがない。尤もあなたにお目にかかることなんてほんの僅かしかなかったのだから、ある意味当然かもしれないけど。でもお目にかかる度にあなたはいつも、あの壇上に飾られた遺影のままの笑顔だった。メガネの奥に、まん丸いいたずらっ子のような黒目が、いつもキラキラしていた。
お目にかかる少ない機会に、交わす話題のほとんどはあなたの最後の勝負のフィールド、幼児教育をめぐる様々なこと。制度や環境が目まぐるしく変化する中、人が育つこと、そしてその道は、そんなにコロコロ変わるはずはないわけで、だけどこの時代を生き抜くために制度に頼りそれを用いなければならないジレンマが、言葉の端々に現れていた。
以前あなたはストーン宣教師について講演してくださった。洞爺丸事故で遭難死する前に救命胴衣を日本人の若者に与えた宣教師。しかし突然僅か52歳でいのちを閉じられてしまった彼の意志を、残された思いを、その志の系譜に連なるわたしたちがどう知り、語り継ぎ、実行するか。系譜に連なるとはその問いの前に立つ、立ち続けることではないか、と。
はからずも、今あなたが去ってしまって、わたしたちには同じ課題が残された。あなたは、端からハシまで一本のスジそのものの教育者。しかも晩年の本当にわずか残された時間を、この私にもお裾分けしてくださった。だからいっそう寂しいし悲しいのだけれど、心から感謝します。
本田栄一先生、安らかに。
