No.714 日本シリーズ

 日本シリーズはあっという間に終わってしまった。結果は福岡ソフトバンクホークスが4勝無敗で4連覇となった。あちこちでセ・リーグとパ・リーグの力の差が歴然としているという声が聞こえる。さもありなん。
 我が家はセ・リーグの横浜ベイスターズファン(アンチジャイアンツとも言うなぁ)なので、日本シリーズでジャイアンツが負けたことには特別な感慨はない。だが巷で騒がれているように、確かに「両リーグの力の差が歴然としている」説は一理ある。どうしたものだろう。
 セ・リーグのオフシーズンになるといつも「ジャイアンツが○○球団の4番バッター/最多勝投手を獲得した」みたいなFA市場を独占するニュースが流れる。結局リーグ内の力関係が崩れて、結果ジャイアンツがリーグ優勝という構図だったのだな。選手側からすれば「超有名チームで選手生活の最後を飾りたい」という願いも理解出来なくはないけどね。でも結局そういう行為のすべてが、圧倒的な力の差を生んでしまったのではないだろうか。
 何せ今回ホークスで活躍した選手は育成が多いし。自力で育てた選手が活躍する、そりゃ地元福岡のファンじゃなくてもイイ話しじゃん。わが横浜ベイスターズも、連れ合いは「今の選手は誰なのかわからない」と言うほど若手の成長が著しいチーム。もちろんそれだけではセ・リーグで常勝チームにはなれないほど壁は高い。ましてやパ・リーグ相手となると絶壁か。
 コロナのために両リーグ交流戦が中止になったことや、セ・リーグで言えばCSも中止になったことは、チームにとっても選手にとっても、そしてファンにとっても「勝負の世界でしのぎを削る」ようなシビれが足りなかった。だけどここは手軽に「シリーズ改革」に逃げないで。地道に、時間がかかっても選手を育て、チームを成長させて、「やっぱり野球は楽しい」とわれらに思わせてほしい。今でも青少年の夢なんだから。

福岡ソフトバンクホークス(公式) on Twitter

No.713 医療崩壊の足音

得意のフリップで説明するのはいいんだけどね…

 先日、緊急事態宣言以来しばらく第一礼拝を休んでいる親子にばったり出会った。聞くと、お連れ合いの会社で、家族も皆不特定多数が出入りする場所に出向くことを禁じているという。それが厭だったり出来ない場合離婚を考えなければならない人も出ているとか。そこまでやるかとも思ったのだが、連日過去最高の新規感染者を輩出している現状と付き合わせると、あながち大げさではないのかも知れないと思う。
 そうこうしていると、秋田の実家から電話が入った。父が脳出血で倒れたという。幸い左の手足に麻痺が出ているが手術するまでもなく薬で出血を抑えたら1ヶ月ぐらいかけてリハビリをする方針らしい。あと10日もすれば91歳になる年齢を考えると、ラッキーだろう。
 だが、驚いたのはそこではなかった。救急車で搬送された病院で付き添った89歳の母に、担当者は事細かく「首都圏に関係者が住んでいないか。そういう人と接触があったか。」を詳しく何度も聞かれたという。家族ですら面会は限られたり時間を区切られたり、あるいは会えなかったりもしている現状は理解していたが、まるで素行調査のようなことまで病院の受付担当者がしているという事実に驚いた。過疎化が進み限界集落も抱える地域であれば、ただでさえ高齢医療の手が回らない中で、感染症重傷者の手当や万一クラスターが発生したらすぐさま医療崩壊と直結する緊迫感があるのだろう。確かに東京や神奈川の新規感染者が多いのは人口に比例しているわけだが、医療の逼迫状況はむしろ地方で・過疎地でこそ深刻なのだ。
 それにしても…。この国は先進国だと思っていたのだが、1月に発注した医療用マスクやガウンがもう12月になろうというのに手に入らない病院があるなんて、どうなっているのだ。しかも有効な手立ては「5つの【小】」って、真面目な話しなの、【小】池さん? 。

No.712 意見の異なる者がいる幸

新型コロナウイルス対策分科会尾身茂会長の記者会見【時事通信社提供】

 政府の新型コロナウイルス対策分科会尾身茂会長がテレビで見せたシーンは衝撃的だった。おそらくこれまでたくさんの学究成果を持っておられる専門の先生で、しかも御年71歳だと思われる方が、「食べるときは左手で(マスクを)外して、食べる。その時は喋っていません。食べるときはしゃべらない。飲み込んだら、(マスクを再びつける仕草)。」。子どもにでもわかるような丁寧な説明…ではなくて、なんだかそれを見せられている私が小馬鹿にされたようで腹が立った。
 これまで何度となく国民に向けてコロナ対策をご指南くださった会長だ。そのご苦労も偲ばれる。だけど、「新型コロナウイルス対策分科会」の仕事は科学的見地から有効と思われる政策を提言すること(新型インフルエンザ等対策特別措置法第6条第5項「新型インフルエンザ等対策を実施するための体制に関する事項」)ではないのか。もちろん非公開分科会だからおそらく席上では侃侃諤諤の議論が交わされていると信じたいが、いかんせん表に出て会長から出る言葉はほぼ全て国民に対する(要らん)指示ばかりに思える。
 つまりそういうことが「日本学術会議任命拒否」問題なのだ。本来政府が行おうとしていることの是非や真偽を、学術的分野から判断し提言してくれる存在がどうしたって必要だろう。であれば政権の意に沿わないことだって当然ある。だが、単に権力的に全てを推し進めるのではなく、学術的な批判に耐えられるものかどうかをしっかり見極める慎重さは絶対必要だ。逆に言えばいわゆる「御用学者」だけ集めて政権の意に沿うことだけを進言させていたら(いるから?)あんな衝撃的な映像が出来上がるのだろう。
 意見の異なる者をそばに置くのは、当然ながら苦労も多い。だからこそ「丁寧な説明」を含めた議論が大事なのだろう。ありゃ、「丁寧な説明」って言いさえすれば、やったことになるんだっけ?

No.711 様変わりを実感

 土曜日に立冬を迎え、季節は冬に入った。教会の暦では22日(第4日曜日)が「終末主日」で一年の最後の週を迎える。
 先日我が家の犬たちの散歩で歩いたいつものコースで、その途中にあるコーヒーショップからいわゆるクリスマスソングが聞こえてきた。おそらく今シーズン初のクリスマスソングだ。
 散歩コースは映画館が主体のエンターテイメントゾーンで、イタリアの街並みを想わせるようになっている。尤もイタリアになんて行ったことがないので、本当にそうなのかどうかは判断つかないけどね。
 そういう商業ゾーンなので、四季折々の大きなイベントが歳時記のように目に映る。その最大のお祭り(?)が実はハロウィン。テレビの話題では渋谷が聖地のように扱われるが、川崎のハロウィンパレードはなかなかド派手でエントリーする参加者も最大級らしい。しかしそれも、今年はコロナで一変してしまった。パレードは中止。その分お家で仮装してネットで盛り上がろうという企画に変更となった。当日夜の散歩では、仮装していたのは僅かに1グループ3人だけだった。
 この一大イベントが終わると、それこそ一夜にしてクリスマスモードに変更となるのだけど、今年はその切り替えも目に映らないほど密やかだった。そしてある日、コーヒーショップから聞こえてきた音で、そんなかつての日々(と言うかつい昨年までのこと、だけどなんだか遠い昔のよう)を思い出した。
 シーズンでいちばん早いクリスマス礼拝は、キリスト教保育連盟神奈川部会。12月第1週の水曜日が定番。しかしそれも、今年はオンラインで行われるという。全く想像出来ないのだけど、それがこれからのニューノーマル(新しい生活様式)になるのだろうか。困ったことに、そのスタイルで一番最初の説教者が私になっちゃったのだけど…。

川崎ハロウィン2019はこんなに盛り上がったんだね
https://rarea.events/event/8982

No.710 実証実験か人体実験か

 横浜DeNAベイスターズから特別なお誘いのメールが来た。10月27/28/29日の対巨人戦チケット割引販売、その名も「おかえり!ハマスタ」。サイトを見ると22日の段階ですべての席に余裕があった。
 近年ハマスタはチケットがとりにくく、観戦の機会がめっきり減った。加えてコロナによる定員減。これは最後のチャンスかと思ったが、数日前テレビで観た黒岩知事の記者会見が頭を過った。ベイスターズ戦でハマスタに観客を動員して、コロナ感染対策の実証実験をするとかナントカいうヤツ。調べてみたら実証実験は30日からで、この「おかえり!ハマスタ」は関係がなさそうだったが、結局日程が取れないために今回購入は見送った。
 「実証実験」とは仰るが、人体実験をイメージさせる。「Cocoaなどのアプリや会場の人がどのくらいマスクをしているか画像で把握したりする機械の実験」だと言うのだが、チケットを買って観戦する人は全員例えばPCR検査で陰性が確認されているのだろうか? それならば「実証実験」と呼べるかも知れないが、そういう担保なしでは「人体実験」に堕ちてしまうだろう。そしてちょっと考えればわかるが、入場者全員がPCR検査を受けることなど物理的に時間的に不可能なのだ。
 この実験は来年開催される(のか、本当に?)東京オリンピックに備えたもので、ハマスタはそもそも野球やソフトボールの主会場でもあるので、重要な意味があると知事は熱弁されていた。政治家が熱弁する場合には「文字通り」と「文字のウラ」の二面があるのが定説。現政権の(軍事的にも)強硬な姿勢と本当に無関係なのかつい疑ってしまう。ある種のビッグデーターを無担保に権力に掌握させることになりそうではないか。
 さて、わがベイスターズはこともあろうに(!)巨人相手に劇的な試合を三日間も展開し、巨人の優勝を大いに遅らせた。やっぱり行けば良かったなぁ。

No.709 Department of Justice

「Department of Justice」って書いてある

 アメリカ合衆国司法省がGoogleを日本で言うところの「独禁法」違反で提訴したというニュースが新聞やテレビのトップ扱いで流れた。1998年にマイクロソフトを提訴して以来約20年ぶりの大型提訴だという。
 そのニュースを見ながら、私は全く別のことに目が奪われた。「米国司法省」ビルがアップされたその入口にあるプレート。そこには「U.S. Department of Justice」と書かれてあったのだ。
 いや、司法省と翻訳されているからまるで裁判所のように思えてしまうが、むしろここは法務省だ。行政機関。だからこそプレートには「Department」と書かれているのだ。ところがこの「Department」を見ちゃうと、わたしの心にまず浮かぶのは「百貨店=デパート」だったりする。しかもそれに続いて「Justice」とまで書かれている。いや、これだって何もその通りだけど、Justiceといえば当然のように「正義」とか「公明正大」とかがまず浮かぶのであって、「司法、裁判、司法官」等をイメージはしにくい。だからあのニュースで目を奪われてしまったわたしは「U.S. Department of Justice」が「へぇ〜、【正義】のデパートねぇ」という、頓珍漢な奴。
 頓珍漢には違いないが、せっかくだから少しだけ調べてみた。米国司法省の義務は「国民の利益を守り、公正で公平な権利を保障すること」だという。このところ我が国では、総理大臣がご自身のポスターにわざわざ「国民のために働く」などと書かなければならないほど、政党も内閣も(政治家も)「国民のためには、働かない」組織になってしまっていたわけで(いや、オイラが言うんじゃないよ、総理ご自身がそう言ってんの!)、行政機関の本来の義務が「国民のため」と明記されている米国をちょっと見直したりもした。
 まぁ前総理は「(総理とは)森羅万象をつかさどる者」と述べたあたり、ハァ?と目がテンになったんだけどね(ちなみに訂正されてないよ)。

No.708 身体性の回復を

 2015年12月、野村総合研究所がイギリス・オックスフォード大学と行った共同研究で「10〜20年後に日本の労働人口の約49%が就いている職業において、AIに代替することが可能との推計結果が得られた」と発表。「約半分の仕事がなくなる」だとか「どの職種がなくなり、どの職種なら生き残る」という分析が多数流れ、騒がれた。

 49%という数字が衝撃的だったことは確かで騒がれた必然もわかる。だけどやはり「人」「コミュニケーション」を全く不要とする職種なんてそんなにないわけだから、衝撃的な数字が現実になるとは思われなくなっていった。

 2020年、コロナの時代になって「がんばるなニッポン」が象徴するライフ・ワークスタイルが始まった。ICTが活用され働き方が変わるのではないかと期待もされたりする。通勤が不要なら環境の良い地方で暮らせるみたいなことがコロナの暗雲漂う中でちょっとした明るい話題にもなっている。

 だけど、5年ほどの期間をおいて引き起こされたこの二つの出来事は、実はとても関連しているように思えてならない。

 リモートでする仕事なんて、それこそAIに代替されるのではないのか。社会全体がコロナの影響を受けているのは事実だが、実はコロナが、やらないこと・やれないことの「口実」に使われているのではないのか。

 ある物流会社のCMコピーに「出来る出来ないの話しはしない。どうやったら出来るのかだけを考える。」というのがある。コロナの時代に「やらないこと・やれないこと」の理由は掃いて捨てるほど溢れている。だが、だからこそ「どうやったら出来るのか」をまず考えなければならないだろう。口実や言い訳にしてはならない。

 宗教はAIに代替出来ない。それはやはり「人」「コミュニケーション」そのものだからだ。身体性──その回復、復権こそ今一番必要に思うのだが。

No.707 何が問題なのか…単純なんだけどなぁ

 総理が日本学術会議の会員候補を6人任命しなかったことで物議を醸している。様々な説が入り乱れているのだけれど、市井の一人として感じていることを、この時の空気感を忘れないためにここに綴っておく。
 「首相の任命権」ということが問われている。学術会議が推薦した人を総理が形式的に任命しないという結論だったわけだ。だったら問題は簡単だ。この6人を推薦しなかった理由をハッキリと(「総合的・俯瞰的」などと言わずに)説明すれば済む。だが何故か、それをしない。
 「学術会議も税金を使っている」という。運営のほとんどは事務経費だが、税金を投入する以上その使い道を問うことは正しい。だから財務省なり経産省なり会計検査院が怠りなくチェックすれば良いだけの話。会員の人事と税金とはそもそも関係ない。
 「学術会議のあり方が問題だ」と自民党政調会長が(行政改革の一環だそうだが)言い始めたようだ。これも会議自体の問題性は別に問われれば良いことではないか。「内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立され」ているのだから。あるいは今回推薦されなかった6人が原因で会議に問題があるというのであれば、総理がそのように説明すれば済む。「政府に対する答申や勧告などが過去10年、ほとんど行われていない」のは、むしろ国会が学術会議に問うことをしなかったということで、無為無策を問われるのは国会の方だろう。余談だが、政調会長はご自身に降りかかって今もある疑惑をまず正直に丁寧に説明した方が良いよ。
 というわけで、こういうことこそスピード感が発揮されるべきではないか。言い訳ではなくちゃんと、別に丁寧にじゃなくていいから単純に、説明すべきことを説明すれば良い。そうしたら我々主権者たる国民が、その説明を下に判断を下すのだ。我々の主権をないがしろにしちゃ困るよ。

No.706 本能と奇跡

今の我が家の飼い犬
奥が「ぷぅ」手前が「くぅ」

 昔、神学校の寮で犬を飼った。当時通っていた教会に来る子どもが、自分の家で生まれたけれど引き取り手が見つからないので教会バザーに連れてきたところ、何匹かは引き取り手が現れる中、結局夕方まで売れ残った最後の一匹を引き取った。
 私が犬を飼ったのはそれが最初、つまり飼い主初心者だった。一方、犬だって人に育てられることは初めてなわけで、お互いがなんとなく関係を紡いでいった。35年も前は今のような「ペットブーム」ではなかったし、法的にも緩かったのか、あるいは自分が無知なだけだったのか、あるいは神学校の寮が山の中で社会と切り離された環境だったからか、何の制約もなく自由気ままな飼い主と飼い犬だった。
 ある時、どうもこの犬が妊娠したらしい。そして臨月が近づくといつもの場所からいなくなった。数日後、その頃既につかわなくなって廃墟となっていた建物の床下で、2匹の子犬に囲まれて発見される。ちゃんと産後の処理も自分でしたようだった。誰が教えたわけでもなく、誰かを見習ったわけでもなく、本能だけでその一大事業をさらりと成し遂げたのだった。驚いた。
 ある種の極限状態で、この犬にあった本能が急激に目ざめたのだろうか。人間にも眠っている本能があるのだろうか。いつか、何かの機会に、私もその眠っていた本能が発揮されることはあるのだろうか。ドラマのような、小説のようなテーマだ。
 自分の人生。ほぼそんな劇的な場面に出くわすこと、体験することはないだろう。だが、わたしたちは生まれながら人間だ。それは間違いない。人格を持って生まれてくるのだ。だけど、生まれただけで「人間になる」のではない。既に「人間」として生まれてくる、しかし幸せも傷もたっぷり味わうことでだんだんと「人間になる」のだ。それはそれで奇跡ではないか。

No.705 佐々木正美先生

2020年7月31日 主婦の友社 刊

 先日佐々木正美先生の新しい本を手に入れた。主婦の友社の雑誌「Como」で2004年から休刊する17年まで続いた連載「子育て悩み相談」で佐々木先生の回答をまとめたもの。17年といえば先生が亡くなった年。最期までこういう仕事を続けていたのだ。先生らしいではないか。
 最初の部分にこんなことが書かれている。「最良の選択をして、目標に向かって努力する。それが良い人生だと、それが幸せなのだと、多くの人は考えています。悪いことではありません。でもその結果、理想と現実が違ったとき「人生は失敗だった」と思うのでしょうか。だとすれば人生は不安だらけです。(中略)人生を限定してしまわないでください。自分の与えられた運命を受け入れて、その中で誠実に生きていけば、最終的には「これで良かったんだ」と思える人生になるのではないでしょうか。」。
 不安はいくらでも枝分かれする。どこまでもつきまとう。右を選んだら左にはもう進めないのに、見もしない左を選ばなかったことに不安を感じる。豊かで平和で自由で平等な社会(判定基準は微妙だが…)で、わたしたちは何をしても何を選んでもどこまでも不安につきまとわれている。挙げ句、不安をもたらした自分以外の原因への責任追及に、貴重な人生の多くの時間を費やしたりする。
 「自分の与えられた運命を受け入れ」るとは、消極的に響く。しかたないという諦めの響き。だが、佐々木先生はそうは仰らない。自分に与えられた運命こそ、たとえそれがどのようであったとしても天恵なのだと。そう信じ切ったとき、最終的には「これで良かった」と思えるのだ、と。
 先生の「子育て悩み相談」にはだから魔法の〆の言葉がある。「大丈夫ですよ、必ずいい子に育ちます」。どれだけ厳しい現実を抱える相談者にも、先生は心からそう言い切る。そう、変えるのは自分の心。自分を受け入れることなのだ。