No.700 700回

 日々よく通る街並みに「閉店」の看板を見かける。立地の良さそうな場所だったり、地下モールだったりするのに、やはり感染症の影響かななどと思ってしまう。経済を研究熟知しているわけではないので単なる印象だけだが。
 「閉店」の看板を見て最初に心に浮かぶのは「あらぁ〜」という感情。それには「ちょっと残念だね」という思いが含まれる。そのくせ、閉店した店の常連ではない、どころか良くて1〜2度訪れた程度。中にはもちろん一度も入ったことのない店も多い。その店の売上げにたった一度も貢献したことはないくせに「閉店」の看板に「あらぁ〜」と感じてしまうのはなぜだろう。
 そこに存在したものが無くなってしまうことへの一種の無常感が生まれるのかもしれない。存在しているものは存在し続けるものだと無意識に感じていて、それがある時急に無くなることでイレギュラーへの過剰反応をしてしまう、みたいな。
 そうは言いながら、例えばよく通る街並みのくせに「閉店・取り壊し」された途端に、そこに何があったのか思い出せないことも良くある。無常観どころではない。むしろ「無情」と言うべきか。
 忘れられてしまうことへの、なんとも表現しがたい恐ろしさをわたしも持っているのかも知れない。だから「無常観」が生じるのであって、それをこともあろうに自分が忘れてしまうことへの罪悪感のごとき「無情意識」を感じてしまうのだろうか。
 だからかも知れないが、忘れないためにではなく忘れてしまうから記録しておく、綴っておくという作業が少なくともわたしには必要だ。なんでもメモする人もいるがわたしはそれはしないし出来ない。だが忘れてしまうから今記録する、綴ることは出来るし、やろうと思う。
 700回はその連続だ。

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