No.696 サンマが教えてくれたこと

写真提供:テレビ朝日

 北海道釧路の市場に今年のサンマ初水揚げがあったというニュースを見た。30年以上前仙台でひと夏の伝道実習をした時、8月末に終わる実習に間に合うかどうかというタイミングで、残念ながら初サンマを食べられなかった思い出がよみがえって、「今年は少し早いのかなぁ」などと思った。だが、ニュースの驚きはそこではなかった。
 初水揚げされたサンマは全部で197匹だという。重さにして20.9キロ。例年より5日ほど遅く量も去年の半分以下。取引はキロ辺り38,000円とこれまでの最高値。スーパーでは「一尾6,000円」の値札がついていたのだ。
 折しも「土用の丑」の話題が出始めた頃、ちょっとした国産ウナギの倍もするサンマに出会うことがあろうとは、思いもしなかった。
 記録的不漁だった2019年の半分以下と聞くと乱獲や異常気象を嘆くほかない。ところが7月20日の北海道新聞夕刊にこんな記事が載った。「漁獲量最低更新の理由」。水産資源管理学・鯨類学が専門の北大大学院松石隆教授の記名記事。抜粋すると「漁師が乱獲して、海の中の魚の量が3割になったというわけでは決してない。実は減ったのは魚の数ではなく、漁師の数である。…漁師の数が3割に減ったので、漁獲量も3割になったという計算である。」。
 先日NHK「こころの時代」に東八幡キリスト教会の奥田知志牧師が出演された。「創世記では人間が一番最後につくられた。必要なものが備えられて初めて人間は暮らしていける。人が人を支え合ってはじめて暮らしは成り立つ。」というようなことを話されていた。そしてコロナは、それまでに隠されていた人の心──他者との関係を断とうとする──を浮き彫りにしている、と。
 漁師が漁をして初めてサンマも食卓に上る。それも直接ではなく、夥しい人とエネルギーが消費されて初めて。見えなかったこと、見ないで来たことの一端を、今年のサンマが教えてくれる。それにしても、高い(>_<)。

8月2日の礼拝

聖霊降臨節第10主日 主題「命の糧」
平和聖日
第一礼拝 夏休み中
 聖書
 おはなし
 担当
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 列王記上 17章8-16節
  使徒書 ローマの信徒への手紙 14章10-23節
  福音書 ヨハネによる福音書 6章22-27節
 賛美歌 賛美歌21から 499番 423番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 8月定例役員会

第一礼拝と教会学校活動の夏休み

7月19日の第一礼拝および教会学校活動をもって、夏休みに入ります。再開は9月6日です。

この間礼拝に参加したい方は、第二礼拝(10時30分より11時45分頃まで)においでください。学校の夏休みなどで教会の礼拝に参列する宿題のある方も、歓迎いたします。どうぞお気軽にご参加ください。

7月26日の礼拝

聖霊降臨節第9主日 主題「破局からの救い」
第一礼拝 夏休み中
 聖書
 おはなし
 担当
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 イザヤ書 43章1-13節
  使徒書 使徒言行録 27章33-44節
  福音書 ヨハネによる福音書 6章16-21節
 賛美歌 賛美歌21から 529番 532番 ほか
 説教者 小林充牧師
 説教題 「恐れることはない」
 礼拝後の予定 なし

No.695 てんやわんや

 先週はなんだか「Go To」に翻弄されたような感じ。
 長女がこの連休に単身赴任している連れ合いを訪ねて神戸に行くというので、「22日からキャンペーンが始まるみたいだよ」と伝えたのが11日。ちょうどいつもは混み合う川崎駅の「びゅうプラザ」がガランとしていたので情報を聞きにいった。ところが窓口で応対してくれた店員さんは「詳しいことが未だ何にも伝わっていなくて…国交省のホームページで確認いただくほかないのです」とすまなそうに応対してくださった。22日から始まるのに旅行代理店でも未だ何も知らされていないと聞いて驚いたのだが、つまり実務を担う人の声を聞いてキャンペーンを始めるのではないのだな、ということだけは良〜く分かった。
 15日には漸くトラベル事業の詳細が旅行代理店に伝えられたらしいが、ここに来て急転直下、17日には「東京除外」、加えて「若者団体旅行・高齢者団体旅行・大人数の宴会を伴う旅行」も除外されると。例のびゅうプラザ川崎の店員さん、またまた困惑してしまうだろうなぁと真っ先に思った。案の定旅行会社各社は予約のキャンセルで対応に困惑しているらしい。キャンセル料は早まって予約した人の自己責任。「「キャンペーンします」と言うから予約した」という言い訳は通じない。ほぼ詐欺被害だね。
 なんとうか、混乱の見本のような政策だとしか言いようがない。「責任を持って」とか「いっしょうけんめい」とか「努力して」とか言うが、結局受入施設の感染予防だけが頼り。ことが起こったら施設の対応の拙さのせいと言うだろうなぁ。神奈川・千葉は箱根や湘南、東京ディズニーランドがあるから除外しなかったらしい。これだってことが起こったら「黒岩・森田(知事)」のせいなんだろうね。
 票・権力維持・カネ、それ以外の目的が全く見いだせないのだが…(困)

No.694 未来はあるか の3(たぶんおしまい)

 先日、市民運動を担っている方々とお話しする機会があった。
 世の中新型感染症の影響でどんなプライベートな会合でさえ開催することが困難な状況に追い込まれている。川崎教会も教会総会を書面表決で行わざるを得なかったが、それは市民運動にとっても同様で、しかも運動体にとってはみんなで集まって話し合ったり行動したりするのが生命線であるが故に、事態はより深刻なのだ。
 その深刻さを象徴したひとつの出来事が先日の東京都知事選挙だった。これまでのいわゆる「選挙運動」なるものがほぼ出来ない中で、だからこそいわゆる「組織票」が結果を決定づけた。圧勝だった。対抗する立候補者の訴える内容は決して悪くはなかったし、こういう状況にもかかわらず多くの聴衆が詰めかけてもいた。だがそういうことが「結果」に影響を与えなかった。
 つまり、本当は届いてほしい人たちに思いが伝わらなかったのではないか。しかも伝えるチャンスを大幅に削がれた中では、そもそも手段を全部もがれてしまったようなもの。市民運動にとって寄って立つ根幹が問われているのではないか。そんなことを語り合ったのだった。
 そういう会話を交わしながら、でもなんだかわたしはその話題に既視感を持っていた。そして気がついた。「訴える内容は決して悪くはない」のに「本当は届いてほしい人たちに思いが伝わらない」のは、なぁんだ、プロテスタントキリスト教会がこの国で150年も味わい続けている現実ではないか、と。
 「コロナの影響」などと声高に叫ばなくても、教会はずっと以前からそういう状態だ(もちろん今回のことで更に加速はしたけど)。高齢化で後継者も育っていないのも今に始まったことではない。だけど、教会は続いてきた。人の力ではないからだ。
 なんだ、希望はずっと足下にあったのだよ。青い鳥みたいなものだね。

7月19日の礼拝

聖霊降臨節第8主日 主題「復活の希望」
第一礼拝 9:00~9:30※
 聖書 出エジプト記16章2-5節
 おはなし マナ?
 担当 黒木恵美子
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 ミカ書 7章14-20節
  使徒書 使徒言行録 24章10-21節
  福音書 ヨハネによる福音書 5章19-36節
 賛美歌 賛美歌21から 346番 531番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 なし