7月12日の礼拝

7月12日の礼拝
聖霊降臨節第7主日 主題「生命の回復」
第一礼拝 9:00~9:30※
 聖書 出エジプト記13章21-22節
 おはなし 昼も夜も休まないのは
 担当 武田直美
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 ホセア書 14章2-8節
  使徒書 使徒言行録 9章36-43節
  福音書 ヨハネによる福音書 4章43-54節
 賛美歌 賛美歌21から 346番 518番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 CS教師会
※7月12日第一礼拝は一応の予定です
 予定通りできるかどうかは7月5日の役員会での判断となります

No.693 未来はあるか の2(たぶん続く)

 6月19日に県を跨ぐ往来が解禁され、休業・自粛要請も全て解除となり、人々の動きが活発になった。7月に入ると、街はますます通常に戻っていった。幼稚園もほぼ通常の通園状態、園バスの運行も再開した。
 様々な事柄が元に戻っていくときに、いちばん心配したことは家庭が崩壊していないか、自殺者が増えないか、これまで感染症の陰に隠されていたことが一気に吹き出してくるのではないかということだった。
 幸い、関係する施設でそういう問題は浮上しなかった。ただこれは「今のところ」と言うほかない。皆、過度なストレス状態に置かれていたし、そんなストレス状況は今も続いているのだから。
 そして問題は思わぬ展開を迎える。東京で感染者が増大し始めたのだ。都が発表している「新規患者に関する報告件数の推移」グラフを見ると、今がちょうど第二波の入口のような図形。「第二波に備える」というのであれば対策をとるのは今がタイムリミットと思われる。
 だけど東京都知事は「「夜の街」に出かけないで」としか言わないし、国の大臣に至っては記者会見で逆ギレし「感染症対策を個人でもっとしっかりやれ」と。どちらも第二波に備える対策は「自己責任ね」と言っているのと同じ。「都も国も責任は負いません」と。
 もちろんこんなことは今まで誰も経験したことがなかったのだ。目に見えないモノの恐怖は別にこれまでもあった。だけどそれはつねにどこか他所で起こっていたことだった。「大変だね」とは言ってきたが、大変なのはいつも「他の誰か」だった。だから今目の前で起こっていることを記憶にとどめ、記録を残しておく必要がある。ひとつの出来事はたくさんの違った目で記憶され残される必要がある。
 そしてそれでもわたしたちは生き続けてゆくのだ。未来を思い描きながら。

No.692 未来はあるか の1(たぶん続く)

あれは一体なんだったのだろう…

 新型コロナウィルス、東京は3日連続で40人を上回ったという(26日現在)。だが経済優先に舵を切って以来、以前はあれほど深刻に自粛を呼びかけていた東京都知事がウソのように「数が多いのは検査数が増えたから」「医療体制は充実している」として特段の配慮を言わなくなった。都庁やレインボーブリッジを再び赤く染める気はさらさらなさそう。
 だけど、結局わたしたちには本当のところは分からない。細い細いチャンネルで現状を把握しようとするなら「陽性率」だけかな、見えてくるのは。検査を受けた数を母数とし陽性が出た数を子数とすると、現罹患者の全体数は分からなくても大凡どれくらい蔓延しているのかがぼんやり分かるわけだ。
 役所というのは「数字」が好きだと思っていた。小さな幼稚園にも幾ばくかの「補助金」というモノが降りてくるが、闇雲に下さるなんてことはなくて、5月1日時点の園児数や教職員数、うち免許保持者の数…等々実に細かく数字を出させられる。まぁそうやって実態を確認した上でなければ税金をまわせないという慎重さは、事務手数に目をつぶりさえすれば理解できる。だがこれがひとたび「国」レベルになると、あっという間に何もかもどんぶり勘定になるのは何故だろう。統計も適当だったと言うし、記録もとらないし、都合の悪い記述は好き放題改変できるらしい。何がどうなっているのか。
 現状を正しく把握しないままで立てられる対策などない。もちろん「現状把握」ということひとつとってもバイアスはかかる。数字は単なる数字であって、それを「どう」読むかが重要なのだから、読み手の思惑が入り込む余地は十分にある。でも数字がでたらめだったり適当だったりしたらバイアスどころの話ではない。単に不安だけを拡散することになる。そしてそのウラで何かこそこそやるんだろうなぁ。
 と、そんなことだとしか思えないこの国に、未来はあるのだろうか。

7月5日の礼拝

聖霊降臨節第6主日 主題「異邦人の救い」
第一礼拝 9:00~9:30※
 聖書 ネヘミヤ記9:9-15
 おはなし 神さまがしてくれたこと
 担当 武田直美
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 ヨナ書 4章1-11節
  使徒書 エフェソの信徒への手紙 2章11-22節
  福音書 ヨハネによる福音書 4章27-42節
 賛美歌 賛美歌21から 346番 416番 ほか
 聖餐式執行 配餐:石浦悦子・松岡信子
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 7月定例役員会
※7月5日第一礼拝は一応の予定です
 予定通りできるかどうかは6月末の判断となります

No.691 国会終わって


無意味な記者会見 毎日新聞より

 国会が閉会した。記者から「前法務大臣とその連れ合いが現職議員として逮捕されたこと」について追求されると、「任命責任を痛感している」と──もう何度同じ言葉を吐いただろうか、この人は──宣う。コロナ禍での閉会について聞かれると「閉会中でも求められれば、政府として説明責任を果たしていきます」と──もう何度同じ言葉を吐いただろうか、この人は──。
 「丁寧な対応」とか「責任を痛感」とか「責任を果たす」とか「説明をする」とか、文字に書けば分かるが、全部動詞。動詞とは本来動作・作用・存在を表すものだ。だが、このかたの言葉には動作も作用も──ひょっとしたら存在すらも──無いし感じない。だから緊迫性も共感性も持てない。
 例えば「丁寧な説明をする」と言われたら、わかりやすい言葉を使って相手が理解できるように語ってくれることを期待するだろう。だが官邸が語るのは「その指摘はあたらない」とか「全く問題がない」という言葉だけ。これをもって「丁寧」とは言い難い。
 「責任」は確かに感じるものだ。だが、責任を感じた者は次に何らかの行動をとる。「余人を持って代えがたい」とか「適材適所」とか言って任命したが、どうやらそうではなかったとしたら、それこそ丁寧な説明をもって次の人を選び直すか、そもそも「自分には人を見る目がないから」と、任命権を手放す──つまり職を辞する──だろう。だがそれももちろんない。
 一方でやたらと自慢話はする。補正予算成立で「空前絶後の規模、世界最大の対策」とは言うが、手続きが止まっている持続化給付金、未だ来ない10万円、やっと届き始めたらしいマスク等々の実態に対しては、丁寧に説明もしないし、責任は自治体や官僚に丸投げ。
 もはや転がるだけ転がった感じ。だけど選挙権をみすみす手放す者が5〜60%もいては、転がりかたが更に加速するだけだな。どうよ、都知事選?

6月28日の礼拝

聖霊降臨節第5主日 主題「天のエルサレム」
第一礼拝 第二礼拝と合同です
 聖書 
 おはなし 
 担当 
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 ミカ書 4章5-26節
  使徒書 ヘブライ人への手紙 12章18-29節
  福音書 ヨハネによる福音書 4章5-26節
 賛美歌 賛美歌21から 346番 452番 ほか
 説教者 小林充牧師
 説教題 「永遠の命に至る水」
 礼拝後の予定 なし

6月21日の礼拝

聖霊降臨節第4主日 主題「信仰の道」
第一礼拝 第二礼拝と合同です
 聖書 
 おはなし 
 担当 
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 ハバクク書 2章1-4節
  使徒書 ヨハネの手紙Ⅰ 2章22-29節
  福音書 ヨハネによる福音書 3章22-36節
 賛美歌 賛美歌21から 345番 528番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 なし