2月定例役員会・主な審議事項

(1)コロナ対策
 宣言の延長に伴い対処方針も延長する
 ホスチアとポーションによる聖餐式も慣れれば問
(2)クリスマス献金について報告を確定した
(3)招聘に関する件
 平井牧師18日19日川崎滞在、引き継ぎをする
 牧師館改修見積通り発注(約80万)する
 平井牧師は3月23日に引っ越してくる予定
(4)2021年度教会総会日程 4月25日
(5)イースター礼拝は合同で行う
 その他の詳細はCS教師会に委ねる
(6)教区総会は未だ案内が届いていないが例年であれば2月最終土曜日に開催される
(7)川崎キリスト教学園について
 武田評議員辞任、滝澤評議員は資格喪失
 武田評議員の選出枠で滝澤貢を推薦する
(8)その他消息等略

No.725 人生にはあそびが必要(自己弁護ぢゃないよぅ)

 このところなかなか寄席に行けない。外出する機会もめっぽう減ってしまったのが原因だが、何せどうひいき目に見ても「寄席に出かける」事が「不要不急」以外の何ものでもないわけだし。
 独演会は芸人の真髄をたっぷり見て聞いて、その人となりを味わう貴重な場所であり時間だ。それももちろん楽しみなことではある。だけど一方でいろんな芸風を持ったいろんな芸人が様々な芸を短い時間で披露する寄席という場所もなかなか面白いものだ。
 だいたい芸人は「わたしの話は社会にとってちっとも有意義ではない」と平気で言う。「不要不急」そのものだと言っているようなものだ。だけどそういうものこそ実は意味があるのではなかろうか。
 40年近く前、免許を取得するために自動車学校に通った。車の簡単な構造なども学ぶ。その時車のハンドルやブレーキには「あそび」と呼ばれる、余裕というかゆとりというか隙間というか(他の表現が見当たらない)があって、しかも絶対必要だと習った。下手をすればいのちに関わる自動車の運転にとって、構造上あそびがどうしても欠かせないというのはなんだかとっても哲学的な示唆があるではないか。
 目に見えないウィルスに怯え続けた1年。もちろんただただ怯えていた頃からすればずいぶんとその正体も判るようになった。それでも自由が利かない状態は全く変わらない。「あそび」が重要だという説はかなり説得力ある。
 一見「無駄」のように思えるもの、「無意味」に思えるもの、あるいは「邪魔」なように見えるもの。世の中にはたくさんあるし、わたし自身の中にもたっぷりある。14年ぶりの引越に向け、やったことのない片付けなんぞをしてみると、それはそれはほとんど棄てて構わないようなものだらけ。一体何をそんな後生大事に保持していたのか、我ながら呆れているのだけれど…。

2月21日の礼拝

第一礼拝 9:30~9:50
 聖書 マタイによる福音書 4章1-11節
 おはなし 勝つための方法
 担当 滝澤貢牧師
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 申命記 30章15-20節
  使徒書 ヤコブの手紙 1章12-18節
  福音書 マタイによる福音書 4章1-11節
  交読詩編 91編1-16節
 賛美歌 賛美歌21から 443番 454番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 説教題 誘惑と確信と
 礼拝後の予定 ぶどうの会
教会役員会策定の【二度目の緊急事態宣言対処方針】に沿って短縮礼拝をおこなっています

2月14日の礼拝

降誕節第7主日 主題「奇跡を行うキリスト」
第一礼拝 9:30~9:50
 聖書 ヨハネの黙示録 21章1−4節
 おはなし イエスよ、きてください
 担当 滝澤貢牧師
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 イザヤ書 30章8−17節
  使徒書 使徒言行録 12章1−17節
  福音書 マタイによる福音書 14章22−36節
  交読詩編 107編10-22節
 賛美歌 賛美歌21から 49番 446番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 説教題 困難に囲まれてなお
 礼拝後の予定 CS教師会
教会役員会策定の【二度目の緊急事態宣言対処方針】に沿って短縮礼拝をおこなっています

No.724 ビワの花が、ついに

ビワの花が…
こんな実になる日も近い

 教会建物の西側に小さな花壇スペースがある。ここは不思議な花壇で、どういうわけか時々土が崩れ去る(まさか首都高やJRがトンネルを掘っているわけではあるまい)。教会員の辻さんが園児たちのために胡頽子の鉢植えをくださった時も土の崩落が頻繁だったので、鉢のまま植え込んでいる。それでも胡頽子は元気に花を咲かせ、実をみのらせる。
 7〜8年ほど前に、ビワの苗木をいただいて植えておいた。もう背丈は優に2階の手すりを超えているのだが、一向に花を咲かせない。外階段から手を伸ばしてビワをもいで食べるのを夢見てきたのだが、毎年葉芽しかつかなかったのだ。というのも防府教会で働いていた頃、そこには幼児施設があって(わたしたちが着任した1999年3月で閉園)、庭に築山と飛行機型の遊具があった。閉園後園庭を整理して築山を壊し、遊具の飛行機がついに空を飛んでビワの木の脇に動いた。我が家の子どもたちや近所の友だちがたくさん遊びに来ては飛行機の翼に登ってビワをもいだ。食べ放題。我が家の夕食後のデザートも庭に出てビワというのが風物詩でもあった。このビワは幼児施設の職員が食べて出たタネを植えた(棄てた?)もの。とても美味だった。
 2021年の今年、ついに川崎教会のビワの木にたくさん花が咲いた。梅雨が開けて初夏を迎える頃には美味しい実をみのらせるのではないかと期待がわく。尤もその頃わたしたちはもう川崎にはいないのだけれど。
 この場所、夏にはゴーヤーを植えている。土と相性が良いのかとても良くみのる。また、大葉(青しそ)も時々移植するが、秋の終わり頃まで勢い良く葉を茂らせる。これも相性が良いのに違いない。
 たぶん、人も土との相性が大切なのだろう。もちろん人は知恵ある生きものだから、相性を知恵で獲得も出来るに違いない。そうやって許される限りそこに根を張る。そんな生き方をこれからもしたいものだと思った。

2月7日の礼拝

降誕節第7主日 主題「いやすキリスト」
第一礼拝 9:30~9:50
 聖書 ローマの信徒への手紙8章38-39節
 おはなし 離さない、離れない
 担当 滝澤貢牧師
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 列王記下 5章1-14節
  使徒書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章1-12節
  福音書 マタイによる福音書 15章21-31節
  交読詩編 103編1-13節
 賛美歌 賛美歌21から 196番 452番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 説教題 弱さの中でこそ
 礼拝後の予定 特になし
教会役員会策定の【二度目の緊急事態宣言対処方針】に沿って短縮礼拝をおこなっています

No.723 物言えば唇寒し

 やはり総理の頭の中は「自助・自己責任」前提だったのだな。
 27日の参議院予算委員会で、生活に苦しむ人たちへの対策を問われた総理は「政府には最終的に生活保護があり、セーフティーネットを作っていくのが大事」と答え、定額給付金再度給付の気持ちはないことを改めて明言した。求められたのはおそらくもっと実効的な政策だったろうに。
 だが、生活保護を受けるためのハードルは高い。総理流の「まず自助」が出来なくなったら家族親族などの「共助」に責任追求される世界でも類を見ない三親等までこの国ではその責任を負わされているのだ。三親等といえばわたしから見て曾祖父か曾孫、叔父伯母、甥姪だ。ただでさえ少子化・核家族化が進む中、「親族共同体」どころか兄弟関係だって構成員が少なく希薄になっている中、民法上の扶養義務を生活保護申請要件に当てはめる例もたくさん見られるという中で、「最終的に生活保護」が決してセーフティネットにはなりえない事例を挙げるに事欠かない。なのに総理はそこに拘泥する。
 大体、保護を受けなくてもよい状態を自己責任で創り出せるなら問題はない。コロナの影響を受けて収入が激減した人、仕事を失った人、そもそも罹患した人に一体どんな「責任」があったのか。たとえそういう状態になったとしても安心して暮らしを立てられるような政策を施さない政府にこそ「責任」はあるのだし。だが総理の答弁にはそんな思いは欠片も感じられない。
 確かに、主権者たる国民が国家権力の暴走をとどめるためにこそある「憲法」に国民の義務(とにかく「公」に奉公する国民像)をどうしても書き加え改悪したがる人たちの考えそうなことだ。
 これを他山の石としよう。わたしたちだって下手をすれば、あらゆる事をコロナのせいにして逃げることが出来る。普段なら後ろめたいことさえ、これを持ち出せばなんでも許されてしまいそうな今だからこそ。