10月4日の礼拝

聖霊降臨節第18主日 主題「神の富と知恵」
第一礼拝
 聖書 創世記 1章31節-2章3節
 おはなし 最高傑作 ! 
 担当 黒木恵美子
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 箴言 3章13-20節
  使徒書 ローマの信徒への手紙 11章33-36節
  福音書 ヨハネによる福音書 10章31-42節
 賛美歌 賛美歌21から 360番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 聖餐式執行 配餐 石浦悦子・松岡信子
 礼拝後の予定 10月定例役員会
※コロナ対策のため短縮礼拝です

No.705 佐々木正美先生

2020年7月31日 主婦の友社 刊

 先日佐々木正美先生の新しい本を手に入れた。主婦の友社の雑誌「Como」で2004年から休刊する17年まで続いた連載「子育て悩み相談」で佐々木先生の回答をまとめたもの。17年といえば先生が亡くなった年。最期までこういう仕事を続けていたのだ。先生らしいではないか。
 最初の部分にこんなことが書かれている。「最良の選択をして、目標に向かって努力する。それが良い人生だと、それが幸せなのだと、多くの人は考えています。悪いことではありません。でもその結果、理想と現実が違ったとき「人生は失敗だった」と思うのでしょうか。だとすれば人生は不安だらけです。(中略)人生を限定してしまわないでください。自分の与えられた運命を受け入れて、その中で誠実に生きていけば、最終的には「これで良かったんだ」と思える人生になるのではないでしょうか。」。
 不安はいくらでも枝分かれする。どこまでもつきまとう。右を選んだら左にはもう進めないのに、見もしない左を選ばなかったことに不安を感じる。豊かで平和で自由で平等な社会(判定基準は微妙だが…)で、わたしたちは何をしても何を選んでもどこまでも不安につきまとわれている。挙げ句、不安をもたらした自分以外の原因への責任追及に、貴重な人生の多くの時間を費やしたりする。
 「自分の与えられた運命を受け入れ」るとは、消極的に響く。しかたないという諦めの響き。だが、佐々木先生はそうは仰らない。自分に与えられた運命こそ、たとえそれがどのようであったとしても天恵なのだと。そう信じ切ったとき、最終的には「これで良かった」と思えるのだ、と。
 先生の「子育て悩み相談」にはだから魔法の〆の言葉がある。「大丈夫ですよ、必ずいい子に育ちます」。どれだけ厳しい現実を抱える相談者にも、先生は心からそう言い切る。そう、変えるのは自分の心。自分を受け入れることなのだ。

No.704 マイノリティの極み

 新しい内閣総理大臣が指名され、誕生した新内閣支持率は日本経済新聞の世論調査で74%、政権発足時としては過去3番目の高さだったとか。その理由が首相の人柄や安定感なんだと。となると、支持出来ないと思っている私はこの国では1/4。ここでも圧倒的なマイノリティだ。
 どうして支持しないのか。そもそも「政権」という存在が私個人の確立にあたっていつでも障壁なのだと認識しているからだ。自分が信託するであろう政党やそれを含むグループが政権を握ったとしてもそれは同じ。支持しているのであればむしろより一層政権の暴走に目を光らせることになるだろう。第2に、選挙とは最善を選択する行為ではなく最悪を避ける行為だと思うからだ。私個人の確立を誰かにお任せはしない。任せて安心などしない。
 それにしても、首相初めての記者会見で「国民のために働く内閣」と掲げたのには笑ってしまった。そしてすぐに暗い心持ちになった。なぜか。そもそも政府は国民のために働くものだ。憲法第15条2項に「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」とある以上、あまりにも当たり前だ。だから笑ってしまった。だが、ひょっとしたらこの国は、今新総理がそのように言わなければならないのが現実なのかも知れぬ。それを思うと暗い心持ちになってしまった。
 読みようによっては新総理は言外に「(これまで)内閣は国民のために働いてこなかった」と言っているのかも知れない。それならば、(それでも)支持はしないが、その言行が一致するかどうか、これからも厳しい目でチェックし続けようと思う。鳴り物入りの「デジタル相」に曰く付きの電通出身者を据えるあたり、既に言行不一致ではないかとの疑いが拭えないが。
 秋田県湯沢市は衰退が激しい1万8千弱の地方極小都市。それゆえにこれを上昇の機運にしたいのだろうが、そんなにうまくいくかなぁ。

犬っこ祭りや絵灯籠祭りは風情があって好きだったなぁ
http://www.city-yuzawa.jp/kanko01/686

9月27日の礼拝

聖霊降臨節第17主日 主題「キリストの住まい」
伊藤信彦牧師特別礼拝
第一礼拝
 聖書 申命記8章2-10節
 おはなし 40年の旅の意味
 担当 佐竹郁子
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 歴代誌下7章11-16節
  使徒書 エフェソの信徒への手紙3章14-21節
  福音書 ヨハネによる福音書 10章22-30節
 賛美歌 賛美歌21から 18番 475番 ほか
 説教題 人知を超える愛~祈りはかなえられる~
 説教者 伊藤信彦牧師
 礼拝後の予定 役員打合せ
※コロナ対策のため短縮礼拝です

9月20日の礼拝

聖霊降臨節第16主日 主題「上に立つ人々」
第一礼拝
 聖書 ヨハネの黙示録21章6-7節
 おはなし 命の水
 担当 滝澤貢牧師
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 エレミヤ書50章4-7節
  使徒書 ペトロの手紙Ⅰ 2章11-25節
  福音書 ヨハネによる福音書 10章1-6節
 賛美歌 賛美歌21から 561番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 ぶどうの会打合せ
※コロナ対策のため短縮礼拝です

【9月定例役員会・主な審議事項】

1)コロナ対策9-10月の教会について
 現状の対策を延長する
 基本教会は礼拝だけを続けて行くこととし、特に会食を伴う様々な行事は中止とする
 
2)平和月間集会の評価・反省について
 「教会婦人」誌で近藤さんのことがちょうど取り上げられていた
3)その他消息等略

No.703 今、教会は

「幻のメロンパン」になっちゃった…

 長男が八王子で一人暮らしを始めたとき、「ここのメロンパンは美味しい」と駅前の小さなスタンド店舗を教えられた。もう夕暮れ時で、次の日仕事が待っていたために「また今度」と思って買わなかった。その後も何度か八王子に出かける度に立ち寄るのだけど、店休日だったりなんだかタイミングが合わなくて買うことの出来ない「幻のメロンパン」になってしまった。
 そしてコロナ禍の春先に訪ねたら、もはや店の看板が取り外されてどう見ても完全撤退した様子だった。ついに、本当に「幻」になってしまった。
 この4〜6月期国内総生産速報値は年率換算でマイナス27.8%、リーマン・ショック後の年率マイナス17.8%を軽く超越したというニュースがあった。そんなに気にも留めなかった。だけど確かにこの半年あまり、身の回りで店が突然営業を終え、その後に次の店が入らないままでいることが目立つ。
 発表される「倒産件数」は法的手続きがとられたものだけだと聞いた。そうではなく例えば「後継者がいないからこの際店を畳もう」というのは「倒産」件数には入らないのだそう。賃貸店舗は撤退する際には原状復帰するためにも金がかかる。その分を確保して撤退する店のことも聞いた。ギリギリ法的手続きをとらないで済むけれども、実質的には倒産に等しいわけだ。
 幼稚園は昨年10月から保育料は各自治体が価格を決めてそれを自治体が支払うようになった。川崎の場合25,700円。幼稚園はこれまでの保育料との差額分を保護者からいただくわけだ。で、3月は総理の鶴の一声で休園となったが保育料は全額いただいた。年度予算で動いているからだ。だが4月5月の休園については上乗せ分は返金した。いってみればそれだけで済んだのだ。
 教会はどうか。礼拝出席者数は当初1/3、今は1/2。でも月定献金などはみんな何とか献げてくれている。コロナショックと呼ぶまでではない。
 巷は厳しい風が吹き荒れている。では教会は今、何をする?