No.718 チキン受難曲

 クリスマス礼拝もクリスマスイヴ礼拝も特別なことを一切やらずに礼拝のみに集中したおかげ(?)で、普段とは違って時間と精神に少しだけ余裕の出来た今年のクリスマスだった。その余裕の時間を使って、巷のクリスマスを少しだけのぞき見してみることが出来たのだった。
 驚いたのは、食料品を扱うお店──レストラン(テイクアウトを含む)やスーパーマーケット、コンビニストア──のほとんどで、「チキン」のメニューが山盛りになっていたこと。
 ちょっと前までは、クリスマスと言えばケーキのお店が臨時で出店されていたことしか印象がない。だが今年、それ以上に驚いたのが大量のチキンだった。フライドチキンやローストチキンは言うに及ばず、唐揚げや焼き鳥に至るまで、あらゆる「チキン料理」がいつもの倍〜3倍ほど積み上げられている。コンビニのレジ横にもたくさんのチキンが並ぶ。チキンを喰わなかったらクリスマスじゃないかのごとき。
 1970年、大阪にケンタッキーフライドチキンの実験店がオープンする。10年ほど後には「クリスマスにフライドチキン」が定着し始めたと言われている。そのイメージは確かにあった。あの店にとってはクリスマスでチキンは当然欠かせないのだろうな、ぐらいの認識だった。だが、40年かけて「クリスマスにはチキン」がここまで過熱してきたということに驚いて認識を新たにしたのだった。
 シュトーレンというケーキは産着のイメージだと聞いたことがある。それを少しずつスライスして味の変化を楽しむらしい。「赤ん坊を喰うのかぁ」などと興の冷めるようなことを言うモンじゃない。そもそも十字架の死後墓に収められる姿の先取りでもあるのだ。してみれば、クリスマスに受難する数多の鶏たちもまた、わたしの食材モトイ贖罪なのかも知れぬ。アーメン。

なんだか幸せな気になる…ありがとう鶏!!

12月27日の礼拝

降誕節第1主日 主題「東方の学者たち」
《川崎教会年末礼拝》
第一礼拝 冬休み中(再開は1月10日)
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  旧約聖書 イザヤ書60章1-6節
  使徒書 エフェソの信徒への手紙3章2-12節
  福音書 ヨハネによる福音書1章1-14節
  交読詩編 27編1-6節
 賛美歌 賛美歌21から 261番 268番 ほか
 説教者 小林充牧師
 説教題 言のうちに命があった
 礼拝後の予定 特になし
※コロナ対策のため短縮礼拝です

第一礼拝と教会学校の冬休み

川崎教会第一礼拝と教会学校活動は

12月27日から冬休みです

再開は1月10日です

礼拝に参加したい方は

第二礼拝においでください

学校の冬休みなどで教会の礼拝に参列する宿題のある方も、歓迎いたします

どうぞお気軽にご参加ください

No.717 排気ガスか核廃棄物か

 政府は2030年代半ばをめどに国内でのガソリン車の新車販売をなくす目標を掲げた。50年に温室効果ガス排出量の実質ゼロをぶち上げたことから、それを達成するためには電気自動車の普及を進めなければならないということらしい。東京都は30年までに、二輪車は35年までにと、国より更に5年ほど前倒しする目標を掲げたようだ。英国/中国/米カリフォルニアが同じように30〜35年ころまでという目標を設定していることも影響ありかな?
 ガソリンやディーゼル車は排出ガスがあるが、電気自動車には排出ガスはないということなのだろうか。確かに、走行中はね。だけど、電気自動車を走らせるその「電気」はどうやってつくられるのだろう。
 「第5次エネルギー基本計画」によれば2030年目標は、液化天然ガス火力が約27%、石炭火力が約26%、再生可能エネルギーが22%から24%、原子力が20%から22%、石油火力が約3%。ざっと「火力」が56%というわけだ。
 つまり、走行中温暖化ガスを排出しない車を走らせるために、温暖化ガスを排出する発電で電気をつくるという、ヘンな話しになっちゃうんだけど。そもそも電気自動車をつくる段階でも排出ガスが大量に発生するのだし。
 トヨタ自動車の社長が「国のエネルギー政策の大変革なしに達成は難しい」「このままでは日本で車をつくれなくなる」と発言し、政府発表当初とは反応を変えてきたのが気になる。彼の言う「エネルギー政策の大変革」とは何を指すのか。コロナへの対応ぶりから類推して今の政府の考えそうな「大変革」は、「発電中にCO2を出さない」原子力発電の割合を高めるしかなさそう。
 「走行中はCO2を出さない」車のために「発電中にCO2を出さない」原子力発電を増やして、最終的には地球のお荷物となる超大量の「核廃棄物」を生み出す構造のどこが先進的取り組みなのだろう。
 ここでもわたしたちの行動変容が求められている気がするなぁ。

ZEROエミッションカー 燃料電池で走るトヨタMIRAI

No.716 「予定なし」と記すこと

 教会の一本表通りは「ラ・チッタ・デッラ」という映画館を中心とした商業施設であることは何度か書いた。そして今年クリスマスの装飾がおとなしめであることも。
 そう思う大きな要因はチッタの中心にそびえるガラスのタワー。いつもならこのタワー全体が季節感あふれる電飾で演出されるのだけれど、今年クリスマスに特別な電飾は施されていない。通りの木々や建物を横断する電飾はあるものの、それ以外にクリスマスを感じさせるものはない。唯一、地下1階にあるパチンコ屋さんに降りるエスカレーター脇のスピーカーから、場にそぐわない音量でクリスマスソングが流されているぐらい(>_<)
 教会はいつものようにクリスマスの準備が進められている。配布する印刷物やスライドショーの作成など毎年毎年のルーティンが始まって、先週あたりからクリスマスに関わる様々な下準備に振り回されている。同じようなことを今年も繰り返しながら、しかしこの12月13日の週報に次週20日の予告を書くところで、心が痛んだ。それは「礼拝後の予定」欄が原因。おそらく牧師として仕事を続けてきた中で、今人生初の言葉をそこに書いた。「礼拝後の予定:特になし」。
 クリスマス礼拝の後に特段の予定がないことなど、これまで経験したことがなかった。イヤむしろ「教会はクリスマスだからっていろいろとやり過ぎなんじゃない、もっとシンプルに、原初のクリスマスを思い起こすような」みたいなことを考えてきた方だ。だけど、「礼拝後の予定:特になし」と記すことがこんなに痛ましいことだったとは、我ながらちょっと驚いてもいる。
 これまでやれていたこと出来ていたことが出来なくなるというのは、どう理論付けてもやはりマイナス思考に陥るものだ。であればこそ、出来ない今を基準に物事を積み上げることにシフトする。人事異動の一つの意味かも。

2019年のクリスマスは、こんなに華やかだったラ・チッタ・デッラ

12月20日の礼拝

12月20日 クリスマス合同の礼拝
降誕前第1主日 主題「告知」
《アドヴェント(待降節)第四主日》
合同礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 イザヤ書7章10-14節
 賛美歌 賛美歌21から 242番 269番 ほか
 説教者 「男の子」
 説教題 滝澤貢牧師
 聖餐式執行
  配餐 石浦悦子・松岡信子
 礼拝後の予定
  特になし