No.699 玉音放送

 8月15日を川崎教会の週報「今週の予定」欄では「敗戦の日」と記している。
 通常カレンダーなどでは「終戦の日」とか「終戦記念日」と呼ぶ方が多いだろうと思う。だがわたしは西中国教区時代に「敗戦の日・追悼と平和を求める集会」という集会名称に衝撃を受け、またその集会のプロデュースにも関わってきて、8月15日を「終戦」ではなく「敗戦」と位置づけることの意味を感じてきていた。だからそのように記し続けている。
 8月15日は、いわゆる「玉音放送」が流された日だ。天皇が「ポツダム宣言を受け入れることに決めた」とラジオを通じて国民に伝えた日。だが、文字通り「受け入れることを決めたと伝えた」のであって、実際に宣言が調印されたのは9月2日。従って国際的には太平洋戦争終結(=終戦)の日は9月2日だ。ところが日本においてはこのラジオ放送があった日が「終戦」の日だとされて、わたしも西中国で意識を変えるまではそのまま思っていた。
 東京でラジオ放送が始まったのが1925(大正14)年、全国放送になったのが1928(昭和3)年。柳条湖事件勃発が1931年。時系列を並べてみればラジオ放送が軍部プロパガンダとして利用されてきたことが良くわかる。そしてラジオのプロパガンダ放送のお終いが「玉音放送」だったわけだ。
 ある日昭和4年生まれの父に「どうして8月15日に玉音放送があることを知ったのか」と尋ねた。答えは簡単。「予告があったから」と。14日21時のニュースと15日7時21分のニュースの2回行われたらしい。で、「内容わかった?」と聞くと、「わかるわけがない。聞き取りにくかったし。だが周囲の大人が悲嘆している様子から察した」と言った。なるほどな話しである。
 最後のプロパガンダは結果的に大成功だったのだろう。みんなが8月15日を「終戦」としているのだ。でも本当は中味をこそ伝えたかったに違いない。そこに記されているのは敵国の酷さ。だから「耐え難きを…」なのだと。

8月23日の礼拝

聖霊降臨節第13主日 主題「神からの真理」
平和月間
第一礼拝 夏休み中
 聖書
 おはなし
 担当
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 ヨブ記 28章12-28節
  使徒書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 2章11-3章9節
  福音書 ヨハネによる福音書 7章40-52節
 賛美歌 賛美歌21から 57番 61番 ほか
 説教者 小林充牧師
 説教題 メシアはガリラヤから出るだろうか
 礼拝後の予定 なし
※コロナ対策のため短縮礼拝です

No.698 鐘の鳴り響く朝

 今年も8月6日朝、お向かいの教安寺さんの鐘が鳴った。広島への原爆投下時刻8時15分から1分間、この鐘は鳴り続ける。
 その後広島市長によって「平和宣言」が読み上げられ、続いて子ども代表の「平和への誓い」がある。だいたいここまでは毎年テレビで観るのが習慣。
 ある時、「今は未だ平和ではないし、21世紀が平和の世紀となることも夢で終わった。なのにどうして平和が『宣言』されるのだろう」と思った。そこで広島市のホームページを調べてみた。そこには「平和宣言」の歴史的経緯が記されている。
 広島市が世界初の原爆の犠牲になって2年後、「永遠の平和を確立しようという広島市民の願いを全世界の人々に伝え、世界的行事の一つにまで発展させたいと念願して、平和祭が」8月5日から3日間行われ、「6日には現在の平和記念公園の広場で式典が開かれ、この中で初めての平和宣言が浜井信三市長によって読み上げられ」たという。その宣言には「この恐るべき兵器は恒久平和の必然性と真実性を確認せしめる「思想革命」を招来せしめた」とあった。世界中の誰もがこの兵器の恐ろしさを知り、平和を希求せずにはいられなくなった故に、逆説的に原爆の落とされた悲惨な出来事が平和をもたらした、という意図だと思った。流布しているような、「太平洋戦争を早く終わらせた」故にではなく、逆説的にわたしたちが平和へと目ざめた故に、だ(以上、「 」は広島市ホームページより引用)。
 しかし残念ながら「思想革命」は全世界の隅々までは行き渡らなかった。いつでもカネが命より上にあった。そして戦争がカネを生む構造は保たれた。だがだからこそわたしたちは今も逆説的に平和を宣言し続ける義務があるのだと思う。呑気だという人は言えばよい。お花畑だと言うならそうかも知れぬ。だがカネのためにこの命を奪われたくはない。誰の命も消費されたくない。
 寺の鐘の音を聞きながら、改めて強く思った。

8月16日の礼拝

聖霊降臨節第12主日 主題「信仰による勝利」
平和月間
第一礼拝 夏休み中
 聖書
 おはなし
 担当
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 士師記 6章36-40節
  使徒書 ヨハネの手紙Ⅰ 5章1-5節
  福音書 ヨハネによる福音書 7章1-17節
 賛美歌 賛美歌21から 499番 485番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 なし
※コロナ対策のため短縮礼拝です

【8月定例役員会・主な審議事項】

1)コロナ対策8-9月の教会について
 礼拝参加時は検温を済ませ、受付でも検温する
 短縮礼拝とし、何も持たないで礼拝する
 出席者全員の住所等連絡先を把握する
2)平和聖日礼拝の評価・反省について
 特記事項なし
3)平和月間集会について
 こころの時代「人から人へ」を鑑賞する
4)その他消息等略

No.697 5ヶ月を二千年のごとく

 先週の礼拝で献金奉仕者が「7月最後の日曜日」と祈られ、改めて「おぉ、7月も終わりかぁ」と思った。
 そんなことを思うなんて、漫然と日々を過ごしてきたような後ろめたさがある。だが、今年は確かにこれまでとは違う。
 新型感染症に怯える日々も早5ヶ月、加えて今年はいつまでも梅雨が明けず、毎日雨が降り続き太陽もろくに見ていないこともあって、「7月終わり・夏まっ盛り」という気分に全く浸っていない。
 メンタルがそんなに強くも弱くもないけ私だけれど、こうして羅列してしまうと気が滅入りそうでもある。だから努めて微かな光や希望を発見しても来た。目に見えないウィルスがこの時代に何かをこじ開けた先に何かが始まることを──それはもちろん「良い」ことばかりではないのは覚悟しつつも──やはり期待したいのだ。
 川崎教会もさまざまな人にこの「週報」を送っているのだが、そのお返しにいろいろなところの週報や機関紙が送られても来る。そしてどこも、やはり苦労の5ヶ月だったのだと思わされてもいる。いずこも「十分に準備期間をおいて、試運転も繰り返し、その評価の下で新しいことに踏み出した」なんてことではなく、日々の差し迫った事態に即決する以外ない状態で踏み出しているのだ。迫られての見切り発車。
 困ったことである。苦労することである。これまでのことが出来ないし通じないのだ。だけど、不幸ではない。わたしたちはいつだって──つまりこれまでだって──事柄に差し迫られて重い腰を上げ、決断し、しかも十分に顧みる余裕もなく歩んできた。それが「時代を切り開く」ことだった。格好良く華々しいことではない。地道な、そして恥ずかしいことも多々あった。
 二千年の教会の歴史は、それを教えてくれているのではないかな。

8月9日の礼拝

聖霊降臨節第11主日 主題「命の糧」
平和月間
第一礼拝 夏休み中
 聖書
 おはなし
 担当
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 箴言 9章1-11節
  使徒書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 11章23-29節
  福音書 ヨハネによる福音書 6章41-59節
 賛美歌 賛美歌21から 499番 419番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 平和月間集会(ビデオ鑑賞50分)