7月5日の礼拝

聖霊降臨節第6主日 主題「異邦人の救い」
第一礼拝 9:00~9:30※
 聖書 ネヘミヤ記9:9-15
 おはなし 神さまがしてくれたこと
 担当 武田直美
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 ヨナ書 4章1-11節
  使徒書 エフェソの信徒への手紙 2章11-22節
  福音書 ヨハネによる福音書 4章27-42節
 賛美歌 賛美歌21から 346番 416番 ほか
 聖餐式執行 配餐:石浦悦子・松岡信子
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 7月定例役員会
※7月5日第一礼拝は一応の予定です
 予定通りできるかどうかは6月末の判断となります

No.691 国会終わって


無意味な記者会見 毎日新聞より

 国会が閉会した。記者から「前法務大臣とその連れ合いが現職議員として逮捕されたこと」について追求されると、「任命責任を痛感している」と──もう何度同じ言葉を吐いただろうか、この人は──宣う。コロナ禍での閉会について聞かれると「閉会中でも求められれば、政府として説明責任を果たしていきます」と──もう何度同じ言葉を吐いただろうか、この人は──。
 「丁寧な対応」とか「責任を痛感」とか「責任を果たす」とか「説明をする」とか、文字に書けば分かるが、全部動詞。動詞とは本来動作・作用・存在を表すものだ。だが、このかたの言葉には動作も作用も──ひょっとしたら存在すらも──無いし感じない。だから緊迫性も共感性も持てない。
 例えば「丁寧な説明をする」と言われたら、わかりやすい言葉を使って相手が理解できるように語ってくれることを期待するだろう。だが官邸が語るのは「その指摘はあたらない」とか「全く問題がない」という言葉だけ。これをもって「丁寧」とは言い難い。
 「責任」は確かに感じるものだ。だが、責任を感じた者は次に何らかの行動をとる。「余人を持って代えがたい」とか「適材適所」とか言って任命したが、どうやらそうではなかったとしたら、それこそ丁寧な説明をもって次の人を選び直すか、そもそも「自分には人を見る目がないから」と、任命権を手放す──つまり職を辞する──だろう。だがそれももちろんない。
 一方でやたらと自慢話はする。補正予算成立で「空前絶後の規模、世界最大の対策」とは言うが、手続きが止まっている持続化給付金、未だ来ない10万円、やっと届き始めたらしいマスク等々の実態に対しては、丁寧に説明もしないし、責任は自治体や官僚に丸投げ。
 もはや転がるだけ転がった感じ。だけど選挙権をみすみす手放す者が5〜60%もいては、転がりかたが更に加速するだけだな。どうよ、都知事選?

6月28日の礼拝

聖霊降臨節第5主日 主題「天のエルサレム」
第一礼拝 第二礼拝と合同です
 聖書 
 おはなし 
 担当 
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 ミカ書 4章5-26節
  使徒書 ヘブライ人への手紙 12章18-29節
  福音書 ヨハネによる福音書 4章5-26節
 賛美歌 賛美歌21から 346番 452番 ほか
 説教者 小林充牧師
 説教題 「永遠の命に至る水」
 礼拝後の予定 なし

6月21日の礼拝

聖霊降臨節第4主日 主題「信仰の道」
第一礼拝 第二礼拝と合同です
 聖書 
 おはなし 
 担当 
第二礼拝 10:30~11:45
 聖書
  預言書 ハバクク書 2章1-4節
  使徒書 ヨハネの手紙Ⅰ 2章22-29節
  福音書 ヨハネによる福音書 3章22-36節
 賛美歌 賛美歌21から 345番 528番 ほか
 説教者 滝澤貢牧師
 礼拝後の予定 なし

【6月定例役員会・主な審議事項】

(1)エレベーター補修工事について
 ジャパンエレベーターの担当者に同席いただき説明を受けた結果、必要最小限の補修工事を行うこととした
(2)コロナ対策に伴う6月以降の教会について
 現在の礼拝の形式、およびCSとの合同についても、6月末の世情を観て7月以降を決定する
 聖餐式は7月第1より再開する
(3)役員任職式・園長就任式・幼稚園教諭任職式について
 役員任職式および園長就任式は6月14日の礼拝で行い、教師任職式は幼稚園教師の要望を受けて7月12日に行うこととした
(4)学校法人と宗教法人の申し合わせについて
 学校法人理事会小委員会提案の申し合わせ事項を確認し、了承した
(5)イースター・ペンテコステ礼拝の評価・反省
 とにかく礼拝が出来たことを感謝する
 LINE配信などの新しい試みは今後も継続する
(6)その他消息等略

No.690 楽しい時間を過ごしてきた

「事件は現場で…」By青島

 戸塚にある日本バプテスト神学校で「実践神学Ⅱ」という連続講座の一コマをいただき、お話をしてきた。
 「バプテスト神学校」は日本バプテスト同盟の学校。当然ながら集まっている学生たちはバプテスト教会から送り出され、遣わされていく先もほとんどバプテスト同盟の教会。
 バプテスト同盟は、川崎教会も所属する日本基督教団新生会と最も近い関係がある。わたしが川崎教会に赴任する前から、川崎教会のクリスマス献金送付先に「バプテスト神学校」があった。それだけ実際にも関わりがあったという証拠だ。ただ、わたしにとっては「献金を送る先」という認識しかなかった。伺うにもとっかかりがなかった。ところが昨年、新生会教師会を川崎で引き受けるにあたって、これをチャンスとばかり新生会として公式にバプテスト神学校を表敬訪問した。以後、様々お誘いいただく度に出かけては関係を深め、ついに神学校の授業に講師として出かけることになったのだった。
 わたしは日本基督教団、それも狭い奥羽教区という範囲で育ち、漸く20年ほどを西中国と神奈川で従事しているだけだ。合同教会で育ち、合同教会で働いているということが、単一教派神学校で学ぶ学生たちにプラスになるのかどうかは分からなかったが、それでも経験を話す以外に語る言葉はない。
 準備を進め、実際に話してみて、改めて浮き彫りになったことがある。教派の違いはもちろん神学的観点での違いではあるのだろうが、実際問題としては「作法」の違いにしか過ぎないことが大多数だということ。そして教会で牧師として立つということに教派による違いなど無いということ。あるのは置かれている場。そして、その「場」にどれだけ共感性を保ちながら立ち続けるかが、問われることの全てだ、ということ。
 「事件は現場で起こっている」。踊る大走査線の名言が頭の中を駆け巡った。

No.689 重苦しい空気

 6月に入って、いろいろなことが元に戻ったように再起動し始めた。とは言え、恐怖が完全に去ったわけではないから、なんだか恐る恐るではあるが。
 3・11の後、川崎でもあちこちで「節電」が叫ばれるようになった。外灯は暗くなり、エスカレーターなども早めに運転が終了した。教会の建っている場所は計画停電もほぼなかったが、幼稚園の教職員が住む地域では頻繁に行われたところもあったようだ。だが、いつの間にか通常に戻った。戻るまでどれくらいかかったかは覚えていないが、意識の上ではあっという間に戻ったような気がしている。
 目に見えない放射線のために、川崎を離れた人もいた。ごく少数ではあった。そして幼稚園の通路から基準を超える放射線が測定され、それが川崎市のホームページに掲載されたりもした。一時確かに大騒ぎではあった。だけど今、少なくとも川崎で生活する上で、放射線量とか無駄な電力の使い方がそんなに気にはならなくなった。
 同じように目には見えない、そして確率からすれば放射線よりも遙かに小さい値でしかないコロナウィルスへの対応が、なんだか3・11より厳重であるのが東北人としては引っかかる。雑駁な知識の感覚から言えば、「それは都市部を襲撃したからではないのか」というのが正直な感想。
 コロナの影響を最も強く受けるのは、人の多すぎる都市部だ。もちろんクラスターは都市部ではないところでも発生した。だがそれは一時的な過密によるものでしかない。そういった例外を除けば、首都圏とか関西圏とか、とにかくやたらと人の多い地域が狙われている。それでも都市部で暮らすことを簡単には止められまい。となれば発生が確率的にどんなに少なくても、近似値ゼロならなければこの恐怖は止められないし、恐怖を抱えたままで擬似通常に戻らざるを得ない。それが今充満している空気。重っ苦しい。